みすず書房

理論経済学の地平を切り拓きつつある研究者が平易なことばで〈ミクロ経済学〉〈ゲーム理論〉〈意思決定理論〉のエッセンスを教えてくれる一冊。数式無しに、社会のあり方についての本質的洞察を与えてくれる経済学からの贈り物です。

著者に師事された松井彰彦先生(訳者)による「あとがき」はこちら

「本書を読めば、明晰かつ専門用語を使わずに、個人の合理的意思決定についての理論を学びはじめることができます。さらにゲーム理論、社会選択論、市場均衡についても概観できます。本書の特色は、リスクと不確実性を強調しているところにあり、標準的な理論とその限界とが明快に議論されています。強く推薦します」
D・フーデンバーグ(ハーヴァード大学)

「本書は、明快かつ包括的で巧みな経済理論への入門書です。重点が置かれているのは、あくまで概念であり、数学ではありません。本書で読者はこの分野の基本的な考え方を身に付けることができますし、哲学、心理学、社会学による洞察も扱われています」
A・フリーデンバーグ(アリゾナ州立大学)

目次

序文
日本語版への序文

I 最適化

Chapter 1 できることと望ましいこと
1.1 例え話
1.2 「できる」と「ほしい」を分ける
1.3 合理的とはどういうことか
1.4 不確実性
1.5 禅と不条理
1.6 理論とパラダイムについて

Chapter 2 効用最大化
2.1 例え話
2.2 二つの重要なこと
2.3 解釈
2.3.1 規範的な解釈
2.3.2 記述的な解釈
2.3.3 メタ科学的な解釈
2.4 測定の問題
2.5 効用と不効用

Chapter 3 制約付き最適化
3.1 一般的な枠組
3.2 例:消費者問題
3.3 限界性の原理

II リスクと不確実性

Chapter 4 期待効用
4.1 実例
4.2 期待値最大化
4.2.1 i.i.d. 確率変数
4.2.2 大数の法則
4.2.3 期待値の実用上の意味
4.3 期待効用最大化
4.3.1 フォン・ノイマン=モルゲンシュテルンの定理
4.3.2 効用が唯一に定まること
4.3.3 リスク回避
4.3.4 プロスペクト理論
4.4 効用の導出
4.5 単純から複雑へ

Chapter 5 確率と統計
5.1 確率とは何か
5.2 客観的確率としての相対頻度
5.3 主観的確率
5.4 統計の落とし穴
5.4.1 条件付き確率の混同
5.4.2 標本の偏り
5.4.3 平均への回帰
5.4.4 相関と因果
5.4.5 統計的有意

III 集団選択

Chapter 6 選好の集計
6.1 効用の和
6.2 コンドルセ・パラドクス
6.3 不可能性定理
6.3.1 アローの定理
6.3.2 得点ルールと評価制度
6.3.3 ギバート=サタスワイトの定理
6.3.4 信任投票に関する議論
6.3.5 結論
6.4 パレート最適性・効率性
6.5 パレート最適性の限界
6.5.1 平等には沈黙
6.5.2 半順序
6.5.3 主観的信念

Chapter 7 ゲームと均衡
7.1 囚人のジレンマ
7.1.1 基本の話
7.1.2 支配される戦略
7.1.3 再び囚人のジレンマへ
7.1.4 効用の意味
7.1.5 教訓
7.1.6 ゲームのルールを変える
7.1.7 繰り返し
7.1.8 カントの定言命法と黄金律
7.2 ナッシュ均衡
7.2.1 定義
7.2.2 正当化
7.2.3 混合戦略
7.3 均衡選択
7.3.1 定型化された例
7.3.2 現実事例
7.4 コミットメントの力
7.5 共有知識
7.6 展開形ゲーム
7.7 完全性と「信憑性のある脅し」
7.7.1 バックワード・インダクション

Chapter 8 自由市場
8.1 例──グローバル化の功罪
8.2 第一厚生定理
8.3 自由市場の限界
8.3.1 外部性と公共財
8.3.2 市場支配力
8.3.3 非対称情報
8.3.4 存在 vs 収束
8.3.5 選好の形成
8.3.6 非合理的行動
8.3.7 「効用」は何を測るか
8.3.8 パレート最適性の限界
8.4 実例

IV 合理性と感情

Chapter 9 感情の進化論的説明

Chapter 10 効用と幸福度
10.1 お金イコール幸せではない
10.2 限定
10.2.1 質問票の妥当性
10.2.2 他人をヘドニック・トレッドミルから追い落としてはならない
10.2.3 人々は全てのものに対して適応するわけではない

結語
訳者あとがき
原注
推薦図書
索引

「訳者あとがき」から

著者に師事された松井彰彦先生の「訳者あとがき」を転載します。

 *

私が行った選択で誇りに思っていることが一つあります。それは、ノースウエスタン大学ケロッグ・ビジネススクールの M.E.D.S. という学科の博士課程の学生時代に自分より年下の指導教官を選んだことです。その指導教官の名前はイツァーク・ギルボア。本書の著者です。

飛び級を重ね、兵役(イスラエル人なので兵役がある)中に博士論文を書きあげてしまったという天才は23歳の若さで M.E.D.S. に助教授として着任しました。意思決定理論の専門家として、デヴィッド・シュマイドラーと共同で提唱、分析したマクシミン期待効用理論や事例ベース意思決定理論はとくに有名です。

シュマイドラー教授はノーベル経済学賞を受賞したロバート・オーマン教授の直弟子で、ギルボア先生の指導教官でもあります。そのシュマイドラー教授が友人で私の日本での指導教官である奥野正寛先生に向かって、ギルボア先生を激賞したことがあると聞きました。「ギルボアという優秀な学生を見出したことで私は十分満足している」。私が奥野先生にギルボア先生を指導教官に選んだことを報告したときに「ああ」と言って話してくださった逸話です。

ギルボア先生は意思決定理論の専門家と見なされがちですが、その著作を見ると、それだけにはとどまらない広がりと深みをたたえています。これは私だけでなく、彼の学生は一様に感じることのようです。あるカンファレンスでワインを片手に談笑していたとき、エンリケッタ・アラゴネスという彼の元学生が「自分の専門をどう規定しますか」と尋ねたことがあります。ギルボア先生からは「数理哲学者」という答えが返ってきました。

本書ではその哲学者としての側面の一端が垣間見られます。ページをめくっていただければわかるように数式はほとんど登場しません。それでもなお、合理的な選択とは何か、という意思決定理論に関する根源的な問いが独特の筆致で読み解かれていくのです。

原書の推薦文でハーヴァード大学のドリュー・フーデンバーグ教授が述べるように、第II部リスクと不確実性はとくに読みごたえがあります。標準的な期待効用理論から始まり、その限界を論じ、ついで確率とは何かという問いに入っていきます。

本書を類書から際立たせているのが、筆者独自の合理的選択に関する考え方です。経済学では、合理的選択と言えば通常現状を正しく認識し、リスクがあるのであればそれを正しく評価し、そのうえで期待利得を最大化するような行為のことを指します。合理的選択を擁護する主流派の経済学者らにしても、それは現実の人間の選択とは異なると言って批判する心理学者や社会学者、行動主義経済学者たちにしてもこの定義を受け入れることが通例です。

それに対し、著者は「個人的にはより主観的な別の合理性の定義をとりたい」といいます。「この定義によれば、ある行動様式がある人にとって合理的であるとは、この人がたとえ自分の行動を分析されたとしてもその結果を心地よいものと感じ、困惑することがないような場合」を言います。第1章に登場するイソップのキツネやグルーチョ・マルクスと同様の行為をとったことがわかると、「あっ」と思う方もいるかもしれません。自分の行動が「合理的」ではなかったと感じる瞬間です。「でも、もしだれかがこのような行動様式をまったく問題ないと感じると主張するなら、その人を非合理的だと片づけてしまうのではなく、この様式がその人にとっては合理的なのだ、と私は考えたいのです」。

対話は大切ですが、それを通じて相手が気づくならそれもよし、相手が納得づくで説得されないならばそれもまたよし、とするギルボア先生独特の考え方がそこにあります。

M.E.D.S. はビジネススクールの中の一学科なので、要求水準が極めて高いエリートビジネスパーソンの卵に経済学を教えなくてはなりません。ギルボア先生はその M.B.A. の学生たちに意思決定理論を教えていましたが、これがすこぶる評判がよいのです。一度、彼らがやって来てぜひパーティーに参加してほしいとギルボア先生に懇願したことがありました。「先生が都合のいい日にクラス全員が合わせますから」。ギルボア先生は何とか理由をつけて断りましたが、その場に居合わせた私はすごい人気だと舌を巻きました。自分の頭で納得づくで選択していきたいと考えるビジネスパーソンたちになぜあれほど人気があったかということも本書を読むと得心できると思います。

イスラエルのテル・アビブ大学に移ってから若くして学部長も務めました。同僚のエルハナン・ベン・ポラスによると、イスラエルの研究者たちは個性派ぞろいでいつも争いや不満の声が絶えなかったということです。しかし、ギルボア先生が学部長になってからはそのような声も収まったといいます。「すごいだろ。ツァーリ(ギルボア先生のニックネーム)は天才なだけじゃないんだ。あのうるさい連中が一様に満足したんだぜ」。

思えば、ギルボア先生とはいろいろと議論させていただきましたが、決して自分の考えを押し付けようとはしませんでした。私の研究分野が、影響は受けつつも彼の分野とは(専門家の立場からは)大きく異なるのはその辺りにも理由があります。本書の訳出に際して、編集者の中林久志さんのおかげでかなり改善されたものの、彼のそのような個性をうまく表現できたか甚だ心許ないので、ここでとくに触れておく次第です。

書評情報

小島寛之 (帝京大学教授)
日本経済新聞2013年4月28日(日)