みすず書房

「私の詩が私の履歴です」——ホロコーストを生き延び、“アウシュヴィッツ以後”に残る言葉を極限まで突き詰めた詩人、パウル・ツェラン(Paul Celan 1920-1970)。
ツェランの詩は難解だ。注釈や研究書はすでにあふれるほど出ている。しかし、ツェランにとって詩とは、「他者の運命」との「出会い」であり、「再会」であった。そこで読者は、みずからにあらかじめそなわっている「心」との再会によって、詩と出会うのである。
1編の詩には1つの主題がある。その主題こそが、出会うべき詩の心、すなわち核心である。西欧と死の国、忘却の家=ドイツ語、キリスト教とユダヤ人、シオニズムとの葛藤、ネオナチとの闘い、水爆実験や人工衛星への否、人間イエスに倣って——。ツェランの"詩と真実"を求めて、初期から晩年まで41編を読みほどき、詳しい年譜も併録した、これまでになかった解説書であり、斬新な現代詩入門である。

目次

はじめに——ツェランをどう読むか

第一章 チェルノヴィッツ(1920-41年)——処女詩集『骨壺からの砂』I
   むこう側に

第二章 チェルノヴィッツからブカレストへ(1942-45年)——『骨壺からの砂』II
   砂漠のなかの歌  (ヤマナラシ)  死のフーガ

第三章 ブカレスト(1946年)——『骨壺からの砂』III
   マリアンヌ  骨壺からの砂

第四章 ブカレストからウィーンへ、そしてパリ定住(1947-48年)——『骨壺からの砂』IV
   九月の暗い眼  遠方に向かって讃えよ  エジプトで  あなたからの私への歳月  旅の途上で  コロナ

第五章 1949-50年——第一詩集『ケシと記憶』I
   焼印  霧笛のなかへ  (まだ彼の眼が)

第六章 1951-52年——『ケシと記憶』II・第二詩集『閾から閾へ』I
   眠りと食物  毎夜ゆがめられた  私は、言うのを聞いた  ポール・エリュアールの思い出に

第七章 1953年——『閾から閾へ』II
   時代の眼球  言葉の夕暮れ  いくつもの斧と戯れながら

第八章 1954年——『閾から閾へ』III
   アッシジ  たびごとに替わる鍵で  おまえの眼に接木された  輝き  沈黙の論証  島に向かって

第九章 1955-58年——第三詩集『言葉の格子』
   声たち(第一歌)  下で  テネブレ  言葉の格子  風に添って  ゴミ運びの小舟

第十章 1959-62年——第四詩集『誰でもない者の薔薇』
   (かれらの中には土があった)  讃歌  アーモンド形の光輪(マンドルラ)

第十一章 1963-65年——第五詩集『息の転回』
   (あなたは遠慮せずに)  (糸筋の太陽は)  (かつて)[1965年]

第十二章 1966-70年——第六詩集『糸筋の太陽』以後
   (かつて)[1967年]

年譜
使用テクストおよび参考文献
あとがき

書評情報

北 彰(ドイツ文学)
図書新聞2015年2月28日
田中千世子((秋草学園短期大学教授))
社会新報2015年3月4日