みすず書房

滞日十年、自身も義太夫をまなぶフランスの批評家による、体験的文楽エッセー。バタイユ、ジュネ、ギュヨタなどを援用しつつ、ロラン・バルト『記号の国』に連なっていく批評には新鮮な魅力があり、これまでの文楽の見方を一変させる。多くの創見とエスプリにみちた身体芸術論にして比較文化論。

「ある種の情熱にとりつかれて私は、年に12回国立劇場に足を運び、人形の身体の錯乱と解体がどこまでいくのか見届けることにした。なんとなく漠然とではあるが私には予感があった。このような断片化は、俳優の崩壊の比喩、登場人物の分散であり、そこで問題になっているのは、俳優がいかにして舞台空間を占めるかということではなく、舞台空間によって気も狂わんばかりとなり、拠点を移さざるを得ない、そんなあり方なのだ。そのような俳優のあり方が台頭してきたのは、ここ半世紀のことに過ぎないが、それが文楽の舞台にはある。文楽を西洋の舞台から隔てるもの(そればかりか、ある意味では能や歌舞伎とも隔てるもの)、それは、文楽の舞台が『遊びの場』であるというその本質においてのことなのだ。〔……〕文楽はさらに先へと踏み込み、(ディオニュソス的な?)身体の切断をテーマの中心に据え、こうして舞台を、自らを映し出す鏡とし、自らをそこで解剖してみせたのだ。」

目次

碑文に代えて、まずは簡潔に

島の住人たち
血みどろのものたち
穴のあるものたち
介在するものたち

謝辞
参照文献
訳者あとがき

書評情報

日本経済新聞
2016年2月14日