みすず書房

〈通常の感覚で一本の木を、そのままでいろいろな未知性を含んだそれとして見ることは容易でない。木が木であるという、いわば超越性のために「木」にする行為が必要なのだ。そこらへんのあるがままを「アルガママ」にズラすことが表現行為、作品制作となり、それによってあるがままが反省的に知覚されるということである。従って作品とは、外界のものを意識で洗い直すことと、再び外界へ飛躍的に連動することの両義的な媒介項でなければならない。〉(本文より)

李禹煥の自己形成にとって大きな意味をもった60年代末から70年代初めにかけて発表された文章の数々は、硬直した理性と物象化を暴く近代批判の試みであると同時に、新たな表現論を模索するものとして、版を新たにしながら読み継がれてきた。
70年代とは何だったのか、もの派の発想はどういうものだったか、表現はどこから始まるのか——こうした問いに、いま確かなヒントを与えてくえる評論集、待望の復刊。

[本書は1971年1月、田畑書店より『出会いを求めて——新しい芸術のはじまりに』が出版され、2008年8月、美術出版社より『新版 出会いを求めて——現代美術の始原』として刊行された]

目次



観念崇拝と表現の危機——オブジェ思想の正体と行方
出会いを求めて
認識から知覚へ——高松次郎論
存在と無を越えて——関根伸夫論
デカルトと過程の宿命
出会いの現象学序説——新しい芸術論の準備のために

あとがき

書評情報

月刊美術
2016年9月