みすず書房

カミュ『よそもの』きみの友だち

理想の教室

判型 四六判
頁数 160頁
定価 1,650円 (本体:1,500円)
ISBN 978-4-622-08321-4
Cコード C1398
発行日 2006年8月4日
備考 現在品切
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カミュ『よそもの』きみの友だち

きょう、母さんが死んだ——この出来事から、寡黙な主人公ムルソーの運命は動き始める。アルジェリアの海、太陽、風を愛する青年は、激しく照りつける「太陽のせい」でピストルの引き金をひく。近しくも正体不明な〈よそもの〉として現われたムルソーとわたしたちの心がふれあったとき、物語の新しい可能性が開かれるのだ。

世界的ロングセラー『異邦人』の新題・新訳。ムルソーは生きている!

目次

テクスト——カミュ『よそもの』より
第1部 第1章(抄)/第6章(抄)/第2部 第1章(抄)

第1回 ムルソー、きみはいったいだれなんだ?
よそものと出会うために/冒頭からびっくり/感情ゼロの実験/正直者を愛せるか?/目のいい男/少しだけ文学史を/健康な男/庶民の知恵/黙した母/ムルソー、メルソー、そしてカミュ

第2回 太陽と戦慄
作品自体がよそものである/アフリカ小説の誇り/「太陽のせいです」/女の涙/男の人生/「運命の数学」/物語の照応/アラブ人はなぜ殺されたのか?/最初の人間

第3回 ムルソーを死刑に処すべきか?
解決篇の始まり/母親殺しの罪/言葉づかいの問題/『よそもの』の言葉/死の明らかさ/盲目の羊/あの世はあるのか/未来の底から/愛すること/しるしの世界へ

読書案内

著者からひとこと

出たばかりの本について、思い出というのも妙な話だけれど、この本の場合、ぼくにとっては忘れがたい事柄がいろいろとあって、それが早くも思い出と化しているのだ。
まず第一に、とにかくむちゃくちゃにいそがしい時期に書いた本だということ。一月から三月まで、試験や採点、入試業務や論文審査が引きもきらずおそいかかってきて息を抜く暇もない学期末の一時期、それらの学務の合い間を盗むようにして、研究室でパソコンに向かった。でも、忙しいときほど仕事と無関係の読書が楽しいように、あわただしい日々にあっては、この本を書くことで、別世界に逃げ出せるような感じがあった。カミュの清澄なことばにじっくり耳を傾けるうち、なんだか心が洗われるような気分を味わうことができた。

最後の部分を書き上げたのは、中国の南京に出張滞在中だった。南京大学で、日本語でフランス映画や香港映画について講義するというふしぎな経験をしたのだけれど、授業が終われば意外に自由時間がある。そこでホテルの部屋でパソコンに向かった。日本人としては、忘れるわけにはいかない過去の戦争犯罪と結びついた街である。しかし現在の南京はすさまじい高度成長のただなかにあって、エネルギーにあふれ、かつまた幾度も中国の首府となった古都の誇りもにじませている。活気と豊かさに満ちた、魅力的な都市だ。その路地を歩き回るうちに、結論部のアイディアが浮かんできた。

第二に、最初から最後まで「ですます」体で書いた初めての本だということ。教室で講義している、という設定に、うまく乗って書けるかどうか心配だった。しかしさいわいにも杞憂で、むしろ今まででいちばん、素直に、力みなく書けた本だったという気がする。書くことの孤独さに変わりはないとしても、語りかけるように、話しかけるように書くという感覚が、ずいぶんと論の展開を助けてくれた。実際、本が出てみると、読んでくれた人から直接、感想を聞かされることがこれまでに比べてはるかに多い。要するに、読みやすい本になっているのだろう。これからは、本はみんな「ですます」体で書こうか、とさえ思うくらいだ。

そして第三に、これが翻訳と解釈という二つの営みを合体させた企画であるということ。そもそもが、L’Etrangerを『異邦人』となったのは、いにしえのフランス文学受容のあり方を反映した翻訳であり、いまやそこから解き放たれた新訳、新解釈が必要ではないか、と主張したいがために書いた本である。その主張を、実践を通して示す機会を与えられたのだからこれほどありがたいことはない。カミュの傑作に新しい息吹をかよわせ、ムルソーに別の語り方、喋り方をさせてやろうと試みつつ、同時に、いままっさらな気持ちでこの小説に向かい合うとしたら、どんな世界がそこに浮かび上がるかを示したかった。外国文学を論じるときに、訳文プラス講義というこの形態はじつにぴったりくる、具体的な手ごたえのある形態だと感じた。

フランスで出たばかりのカミュ・アルバムから写真を何点か入れることができたのも嬉しかった。読んだ人から、今まで見たことのない写真がいくつもあった、といってもらうと思わずにんまりしてしまう。最終的な許可を与えてくれたカミュの遺族に感謝である。

カミュの遺族がもろもろの権利関係にきびしく目を届かせていることは有名だが、L’Etrangerの場合、わが国での翻訳権を新潮社が独占的にもっているという事情もある。部分的にであれ新訳を世に問うことができたのは、新潮社の理解によるものだ。これまた、深く感謝。

それにしても、こんなにむずかしい版権問題を抱えた本も初めてだった。担当の小川純子さんが、最後の最後まで粘って交渉、調整を続けてくれたおかげで、無事、日の目を見ることができた。小川さんが選んでくれた表紙のブルーの色を見たときの爽快感は忘れられない。今年、本書に続いて翻訳を2冊出したのだけれど、偶然いずれも表紙カバーはブルー。ぼくにとってはひそかに「2006年ブルー三部作」を構成する作品群の、そのトップを飾った嬉しい一冊、それが『カミュ「よそもの」きみの友だち』なのである。(2006年9月 野崎歓)