みすず書房

行動の構造 下

始まりの本

LA STRUCTURE DU COMPORTEMENT

判型 四六変型
頁数 248頁
定価 4,070円 (本体:3,700円)
ISBN 978-4-622-08371-9
Cコード C1310
発行日 2014年4月7日
オンラインで購入
行動の構造 下

「フランスの現代の思想家のあいだでは、全自然を意識の面前で構成される客体的統一とする哲学と、有機体と意識を実在のふたつの秩序として扱い、その相互関係においてはそれらを〈結果〉や〈原因〉として扱う諸科学とが、並存している。解決は、たんに批判主義に還ることにあるのだろうか。そして、ひとたび実在的分析や因果的思考の批判がなされてしまえば、科学の自然主義のなかには根拠あるものは何もなくなるのであろうか、つまり超越論的哲学のなかに〈包含〉され移されたばあい、そこに自己の位置を見いだすべきものは何もないのであろうか。
われわれは〈下から〉出発し、また行動の概念の分析を通して、そうした問題に到達するであろう。この行動の概念は、われわれには重要なものである。なぜなら、その概念をそれ自身において考えるならば、それは〈心的なもの〉と〈生理的なもの〉との古典的区別にたいして中立的であり、したがってそういった区別をあらためて定義しなおす機会をわれわれに与えうるものだからである」

1942年、ドイツ占領下のフランスで刊行され、その3年後の大著『知覚の現象学』とともに学位論文として提出されたメルロ=ポンティのデビュー作。パヴロフ、ワトソン、ケーラー、コフカをはじめ同時代の生理学、行動主義心理学やゲシュタルト心理学の成果を精緻かつ批判的に検証。「〈意識〉と〈自然〉との関係」、行動における有機体と環境との構造的連関を浮かびあがらせながら、批判主義的反省が閉ざす知覚の新たな哲学的次元を指し示した本書は、「行動科学を基礎づける存在論」の先駆的試みである。全2巻。本巻巻末に解説(加國尚志)を付す。

目次

第3章 物理的秩序、生命的秩序、人間的秩序  
〈序論〉 ゲシュタルト学説は、実体論のもつさまざまな二律背反を乗りこえようとする。が実際は「ゲシュタルト」についての哲学的分析を欠いているため、ふたたび実体論に逆もどりしている
〈第1節〉 物理学における構造
(1) 実証主義に反対して、物理的世界にも構造があると主張するのは、いかなる意味で正しいか
(2) しかし構造は、「自然」の「なか」にあるのではない
(3) 構造は意識にとって存在する

〈第2節〉 生命的構造
(1) 物理的系にたいする生命的ゲシュタルトの独自性。新しい弁証法の契機としての有機体と環境
(2) 「理念」としての有機体
(3) 有機体における、機械論‐生気論の二律背反を越えた意味の統一  47
〈第三節〉 人間的秩序
(1) 意識の生活
* 意識と行為との関係は、現代でもやはり外的に考えられている。知覚理論に関する現代のさまざまの帰結/初発段階の知覚の諸性格。それは対象よりも人間的意図に集中され、真理を認識するよりも現実を体験するものである/意識の構造についてのさまざまの結論。さまざまの種類の志向性および現実意識
(2) ほんらいの人間的意識
(3) 心理学における因果的な考え方にたいする反論。構造の用語によるフロイト主義の解釈
(4) 「心的なもの」とか精神というのは、実体ではなくて弁証法ないし統一形式である。——「唯心論」と「唯物論」の二者択一をいかにして超克すべきか。——行動の構造としての「心的なもの」
〈結論〉 これまでの分析の二重の意味。この分析は批判主義的結論を認めるのであろうか

第4章 心身の関係と知覚的意識の問題
〈第1節〉 古典的回答
(1) 素朴的意識とその経験的実在論
(2) 感覚的なものについての哲学的実在論
(3) 科学の似而非デカルト主義
(4) 知覚的意識のデカルト的分析
(5) 批判主義の考え方。知覚の主知主義的理論によって解答された心身関係の問題
〈第2節〉 自然主義というものには一理もないのか
(1) これまでの諸節が超越論的態度に導くというのは、いかなる意味においてか。——意味の三秩序として定義された〈物質〉・〈生命〉・〈精神〉
(2) しかし、われわれの結論は批判主義的なものではない
(3) 意味の場としての意識と体験流としての意識とは区別すべきである
(A) 外的知覚  
* 物という現象/自己の身体という現象/根源的経験としての知覚野への還帰。誤謬ではあるが一理ある実在論
(B) 誤謬というものと心的および社会的構造
(4) 構造と意味。知覚的意識の問題

原注/訳注

訳者あとがき
《始まりの本》版によせて  木田元
解説  加國尚志

参考文献/索引