みすず書房

「もし死刑という制度に例外事態が起こってしまったとするならば、すなわち、死刑の執行が失敗し、その後も被告人が生き延びてしまったとしたら、一体何が起きるのか? こうした一見、抽象的な思考実験とも思える問いを通して、大島は「国家」という制度の核心へと近づいてゆく」。

『日本の夜と霧』『絞死刑』『儀式』『二十四の瞳』『ひめゆりの塔』『浮雲』『森と湖のまつり』『仁義なき戦い』『セーラー服と機関銃』——大島渚や木下恵介からメロドラマ、実録やくざ映画、角川映画まで、日本映画は戦後民主主義と大衆消費社会の結節点にありながら、国家と共同体の外へ追われた“他者の生”を描いてきた。
国民の物語と娯楽性の狭間にあって映画は、安保を、在日を、天皇を、戦争を、沖縄を、アイヌを、ふるさとを、恋愛を、少女を、いかに表象してきたのか。映像に固有の論理と緻密な分析によって、仮借なき暴力に彩られたそのさまざまな〈声〉を聴き取る、硬派で繊細な映画批評の誕生。

目次

第1部 大島渚とその時代
時代を証言する  『日本の夜と霧』
法の宙吊り  『絞死刑』における国家と発話主体
呼びかける死者たちの声  『儀式』における国家と戦後民主主義のイメージ
オオシマナギサを追悼する  つねにいつもそこにいる運命的な「他者」に向って

第2部 メロドラマの政治学
幼年期の呼び声  木下惠介『二十四の瞳』における音楽・母性・ナショナリズム
従軍する女性たち  『ひめゆりの塔』にみる戦争とジェンダー/植民地表象の政治学
コロニアル・メロドラマ試論  成瀬巳喜男『浮雲』にみる「植民地主義(コロニアル)メロドラマ」の可能性
メロドラマ的回帰  『秋津温泉』にみるメロドラマ形式の可能性

第3部 ジャンル映画のディスクール
馬鹿は死ななきゃ治らない  『次郎長三国志』における富士山の表象とその遊戯性
“ビヤッキー”と呼ばれた男  内田吐夢『森と湖のまつり』における高倉健のイメージ
召喚される暴力/記憶  『仁義なき戦い』における菅原文太と分有されるイメージ
少女・謎・マシンガン  〈角川映画〉の再評価

編者あとがき

書評情報

三浦哲哉(映画批評)
キネマ旬報2016年12月上旬号
上野昴志(映画評論家)
社会新報2016年12月21日
齋藤愼爾(文芸評論家)
出版ニュース「ブックハンティング」2016年12月下旬
久保豊(映画研究)
図書新聞2017年2月4日号
巽孝之(アメリカ文学)
図書新聞「2016年下半期読書アンケート」2016年12月
長谷正人(映像文化論・文化社会学)
図書新聞「2016年下半期読書アンケート」