みすず書房

ロシアと中国に挟まれたモンゴルは、その歴史を通じて両国と深い関係を有してきた。17世紀には清朝の版図に組み入れられたが、1911年の辛亥革命で清朝が崩壊すると独立を宣言した。一方ロシアは、19世紀後半から徐々にモンゴルへの進出を始め、革命と内戦を経てソ連時代に入るとさらに関与を深めていった。
影響力の大きさは、ソ連国内の政治的傾向がモンゴルに並行的に現れることに看取される。しかし当初の左派路線は、1932年にモンゴルで大規模反乱が発生すると、スターリン自身によって否定されるに至る。親ソ政権の崩壊を防ぐためである。さらにその背景には、満洲事変の勃発と満洲国建国に対する危機意識があった。以後、モンゴルは満洲国に対する防波堤と位置づけられ、道路、河川、鉄道の整備によって有事への備えが行われてゆく。1939年のノモンハン事件におけるソ連側の勝因は、この10年がかりの準備の成果とみなしていいだろう。そして1945年、終戦前の交渉でスターリンが英米中に独立を認めさせたモンゴルは、ソ連とともに対日戦に参戦。満洲国の崩壊に貢献し、戦後の国民投票で独立を果たした。
本書は、20年近くに及ぶこのスターリンの対モンゴル政策を一書にまとめたものである。ロシアの史料館の一次史料を駆使して、時系列的にソ連の対モンゴル関与を丹念に追った。史料の正確な読みが明かす歴史の醍醐味を十全に伝える実証的研究であり、ソ連・ロシア史研究のみならず東アジア国際政治史研究に新たな基礎的知見をもたらす試みである。

目次

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はじめに
第一章 前史——ロシア帝国時代のロシア・モンゴル関係
一 19世紀半ばまでのロシア・モンゴル関係
二 北京条約とロシア・モンゴル関係の拡大——ダレフスカヤの著作を中心に
三  辛亥革命、ロシア革命、モンゴル独立革命
四 先行研究

第二章 1920年代のソ連の対モンゴル政策
一 1920年代初頭のソ連の対モンゴル政策
二 モンゴル人民共和国成立後のソ連の対モンゴル政策
三 1926年5月——最初のソ連の対モンゴル経済政策
四 北伐と馮玉祥、内務保安局の活動、モンゴルへの軍事協力
五 ヴォストヴァグ、上海クーデター、ソ連・モンゴル間の連絡路
六 モンゴル右派政権打倒の準備
七 ダムバドルジ政権の敗北
八 左派政権下のモンゴルとソ連

第三章 1930年代のソ連の対モンゴル政策
一 ガマルニク主導の対モンゴル政策——1930-1931年
二 満洲事変後のソ連の対モンゴル政策
三 1932年春の反乱とスターリン指導部の対応
四 イワン・マイスキーとモンゴ、モンゴルと関連した主要人事
五 関東軍の熱河攻略とモンゴル国防力の強化
六 モンゴル小委員会の活動
七 レヴソモル活動への介入、借款の一本化、輸送の軍事化
八 ルムベ事件とエリアヴァ代表団の派遣
九 ドブチン、エルデブオチルとの会談、1934年の対モンゴル政策、地質調査
十 モンゴへの債務削減とコミンテルン代表団の派遣

第四章 ソ連の対モンゴル関与の拡大——ノモンハン事件に至るまで
一 スターリン・ゲンデン会談——1934年
二 国境交渉、軍事協力の拡大
三 ソ連職員の待遇改善、モンゴルにおける映画産業、コンビナートの火事
四 スターリン・ゲンデン会談——1935-1936年
五 ゲンデン解任、赤軍のモンゴル駐屯、満洲里第三回会議
六 スターリン・アマル会談と軍事協力の拡大、動員のための道路・鉄道の整備
七 日中戦争に対応したモンゴルにおける軍事力増強
八 1938年の軍備増強とモンゴル、ソ連からの逃亡者の情報
九 ノモンハン事件

第五章 第二次世界大戦とモンゴル独立への道
一 ノモンハン事件後のソ連の対モンゴル政策
二 ソ連とモンゴル人民共和国間の財政問題
三 対日戦に備えた動員・連絡路の整備——鉄道、自動車道、河川
四 モンゴルにおけるソ連の資源探索
五 モンゴル駐屯赤軍
六 教育——モンゴル人とソ連人
七 モンゴルに勤務するソ連人職員
八 1945年7月のスターリン・宋子文会談とモンゴル

おわりに
あとがき

参考文献

索引

書評情報

楊海英(静岡大学教授)
産経新聞2017年5月21日

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