みすず書房

「ナチス絵画」とは何か。戦争画をはじめ、そのプロパガンダ的要素や国民にとっての「わかりやすさ」については、ほぼ周知であろう。だが、より広い文脈で考えたとき、そこにはさまざまな要素や背景が絡んでいることがわかる。
本書は、1937年に「頽廃美術展」と同時にミュンヘンで開催された「第1回大ドイツ美術展」、とりわけそこに出品され注目を浴びたアドルフ・ツィーグラーの絵画作品『四大元素』を主な対象に、狭義の美術史やナチス研究とは異なる複合的視点から、ナチス美術のあり方をさぐる考察である。具体的には、ツィーグラーという人物とその背景、ナチスの芸術政策の展開、ミュンヘン造形美術アカデミーの歴史、美術アカデミー制度とモダニズム美術の関係、ナチス美術における絵画技術と複製技術メディアの問題、ドイツ・近代美術史におけるミュンヘンの位置、世紀末ドイツ美術界における「ドイツ芸術論争」などの論点を手がかりに、その全体像に迫る試みである。
「大ドイツ美術展」に展示された無名に近い画家たちの絵画はどのようなものであったか。「頽廃」の烙印を押されたミュンヘンの画家たちは? さらにナチス建築の折衷主義、ヒトラーやゲッベルスの発言を含む歴史的資料の検討、メディア史の理論的考察などを通じて、文化史におけるナチス美術の意味を明らかにする。

本書は2021年、第31回吉田秀和賞を受賞しました。

目次

はじめに――ナチス美術のイコン

第1章 1937年夏、ミュンヘン
二つの美術展
褐色都市
1937年の男
ドイツ芸術とは何か
ヒトラーの「作品」
ただ一度の夏

第2章 アドルフ・ツィーグラーとは誰か
特性のない男
二人のアドルフ
無名画家の変身
凡庸なるオポチュニスト
もう一人のアドルフ

第3章 路線闘争
モダニスト・ゲッベルス?
ゲッベルス対ツィーグラー
ゲッベルスと文化政策
ローゼンベルクの敗退と延命
エーミール・ノルデの場合
美術アカデミーの強制的同一化
美術団体の強制的同一化

第4章 謎の絵 絵の謎
『四大元素』の謎
フレームの機能
闘争宣言のフォーマット
ヌードという問題
「生/性政治」あるいはナチス美術の二つの身体

第5章 『四大元素』を読む
人物像あるいは「自然」のアレゴリー
色の問題
ナチス体制の可視化
「北方ルネサンス」の系譜
「技術」の勝利と「芸術」の敗北

間奏 ナチス建築あるいは決断主義的折衷主義
 折衷様式あるいは建築における統合原理
 折衷主義建築と受容モード
 記憶の場における歴史的記憶の破壊
 芸術としての政治と「決断主義」

第6章 美術アカデミーという問題
美術アカデミーの歴史とイデオロギー
反アカデミズムとしての近代美術史
視覚文化の大衆化とアカデミー

第7章 逆襲するアカデミズム
アカデミズムと「ナチス美術」
絶対化される「技能」
マックス・デルナーとミュンヘン・アカデミズム
新たなプログラム――手業的技量の復興
アカデミズムの逆襲
「大ドイツ美術展」のスターたち
複製技術時代の「絵画技術」

第8章 世紀転換期ミュンヘンの「芸術時代」
画家の都
シュトゥックという現象
文化闘争のイコン――ベックリン
ハンス・トーマの「ドイツ」

第9章 「発端」としての世紀転換期
一九〇五年の「ドイツ芸術」論争
対立の構図
「美術におけるユダヤ人問題」
「美術の都」と日本人

おわりに――事件の顚末

あとがき
参考文献
図版一覧
索引

書評情報

宮下規久朗
(美術史家)
日本経済新聞 2021年4月10日
毎日新聞
2021年5月8日

関連リンク

吉田秀和賞受賞・著者講演

朝日新聞 2022年1月30日