みすず書房

「私は制作行為はしているが、アートを作っているのではない。私は筆や絵具やキャンバスに働きかけて、アートを引き起こす作業をしている。まるで近代的な植民地のように、キャンバスをアーティストの理念の実現で埋め尽くすこととは違う。私は自己を磨き限定しつつ、世界と刺激的に関わり、アートが発生するよう願う」――
練磨された自己の身体を介して、描かざるものと描くもの、作らざるものと作るものが出会う時、作ること自体の出来事性、現場性の中で、まわりの空間が刺激され、見る者をも関わらせながら、ぶつかり合い、響き合う。
「もの派」運動の支柱として芸術を解体構築し、新たな地平を拓いた1970年代から、東洋的、オリエンタリズムというレッテルを峻拒して、独自の作品を生み出してきた半世紀におよぶ道のりの中で、絵筆とともにつねにペンを握り、書きつづけてきた李禹煥の文章を編む。

目次

I
春先の雑木林の空
破片の窓
雑念礼賛
私の小さな机
赤ん坊の笑顔、死者の笑顔
待つことについて
表現としての沈黙
純粋時空
無意識について
抑圧されているもの
物理学への愚問
新型コロナウイルスのメッセージ
籠りの彼方
偉人の道
祖父の思い出

II
私の制作の立場
開かれる次元 Open Dimension 法千何立立千一画――石濤
一九七〇年代に出発して
自己限定と身体の練磨による制作
余白現象の絵画
白いキャンバス
開かれる絵画
彫刻の開かれ 出会いのメタフォア
無限の門 ヴェルサイユ・プロジェクト
家、部屋、空間 Chez Le Corburierとの対話
内なる構造を越えて

III
デッサンを巡って
見ることの驚異
見ることの成立
不用意の発見
芸術家のトポス
没頭の者たち
芸術家の二重性
絵画制作の二つの立場
人工知能と美術家
指揮者のこと
対象と物という言葉
AI雑感
東洋的という言葉
AIとレンブラント、そして肖像画
文明と文化
AI型の批評家
エセ批評
イデオロギー幻想

IV
もの派
外部性の受容の表現
単色画について
未知との対話 若い芸術家に
現代美術 この黙示的なるもの
現代美術の写真を見ながら 表現と作者の正体性
地域性を越えて
ラスコーの洞窟
ストーンヘンジ
エジプト便りから
京都の庭園
朝鮮の白磁について


〈モナ・リザ〉頌
レンブラントの自画像
雪舟異聞 〈秋冬山水図〉の冬の図と〈慧可断臂図〉をめぐって
謙斎の絵画
カシミール・マレーヴィッチ 万華鏡のようなカタルシス
見ることについて メルロ=ポンティを讃えて
デュシャンとボイスの間で
カラヤンの指揮
リチャード・セラ
アートの驚異 カプーアについて
関根伸夫を偲んで 〈位相―大地〉または関根伸夫の出現
安齊重男 七〇年代または外部性の視座

あとがき

 

書評情報

渡邊十絲子
(詩人)
毎日新聞 2021年7月31日
新井文月
(現代アーティスト)
HONZ 2021年6月7日 https://honz.jp/articles/-/46016