みすず書房

トクヴィル選集

判型 四六判
頁数 712頁
定価 7,700円 (本体:7,000円)
ISBN 978-4-622-09814-0
Cコード C1031
発行日 2025年11月17日
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トクヴィル選集

フランスの政治思想家・法律家・政治家アレクシス・ド・トクヴィル(1805-59)。フランス革命後を生き、司法・行政・立法のすべてに関わり、アリストクラシーとデモクラシーの狭間から生まれた著者の活動と思索の射程の深さと幅は、主著『アメリカのデモクラシー』『アンシァン・レジームとフランス革命』からだけでは読み解けない。
本書は、第I部で「1789年以前および以後におけるフランスの政治的社会的状態」「「合衆国における監獄制度とそのフランスでの適用」第二版序論」はじめ、政治家としての演説、貧困問題・社会問題・監獄制度についてなど思想家としての論文を、第II部ではアメリカの旅の記録「荒野の一五日間」はじめアルジェリア、アイルランドへの旅など重要な旅行記を、そして第III部では、トクヴィルの日常の思考が19世紀フランス政治の動向と関係しながらどのように展開されていったのかを生き生きと映す数多くの書簡を収録する。
トクヴィル理解のためにも、『アメリカのデモクラシー』をより深く知るためにも、デモクラシーをあらためて考えるためにも――トクヴィルの全貌をはじめて一書にしるす。

目次

I 演説・報告・論文

1 アンシァン・レジームを理解する
一七八九年以前および以後におけるフランスの政治的社会的状態(一八三六年)
共和国はいかにして一人の主人を受け容れる用意ができたのか〔一八五六年?〕
共和国でなくなりつつあった国民はどのようにして革命的なままにとどまったのか〔一八五六年?〕

2 貧困問題・社会問題・監獄制度
貧困問題にかんする覚書〔一八三五年〕
貧困問題にかんする第二論文〔一八三八年頃までに執筆、未発表〕
「合衆国における監獄制度とそのフランスでの適用」第二版序論〔一八三六年〕
捨て子についての報告、一八四六年

3 二月革命前後の政治家トクヴィル
私の本能、私の意見〔一八四一年一一月〕
行政の中央集権化と代表制度〔一八四四年〕
パリからシェルブールへの鉄道についての報告、一八四六年
中産階級と人民について〔一八四七年一〇月、未発表〕
下院における勅語への奉答案の議論でなされた演説、一八四八年一月二七日
憲法草案審議における憲法制定議会での演説――労働権の問題をめぐって、一八四八年九月一二日

4 アカデミーにおける演説
セサック伯爵とかわって席に着くさいの公開演説、一八四二年四月二一日
精神・政治科学アカデミーの公開年次報告における演説、一八五二年四月三日

5 日本における受容
自由原論〔総論〕

II 旅行記

荒野の一五日間〔一八三一年〕
イギリスの最終的な印象〔一八三三年〕
イギリス・アイルランド旅行 一八三五年
アルジェリア旅行の覚書 一八四一年
シチリア旅行〔一八六〇年〕
オナイダ湖への旅〔一八六六年〕

III 書簡

一八一四―一八三一 トクヴィル以前のトクヴィル
ルズュール神父宛(パリ、一八一四年四月四日)
ルズュール神父宛(メス? 一八二一―二二年頃か)
兄、イポリット宛(ヴェルサイユ、一八三〇年八月一八日)
エルネスト・ド・シャブロール宛(ニューヨーク、一八三一年六月九日)
父、エルヴェ宛(ハートフォード(コネチカット州)、一八三一年一〇月七日)
シャルル・ストッフェルズ宛(フィラデルフィア、一八三一年一〇月二二日)
母、ルイーズ宛(フィラデルフィア、一八三一年一〇月二四日)

一八三二―一八四〇 『アメリカのデモクラシー』とその反響
マリー・モトリー宛(シェルブール、一八三三年八月二日)
ギュスターヴ・ド・ボーモン宛(パリ、一八三四年七月一四日)
カミーユ・ドルグランデ宛(ベレーム、一八三四年一一月二九日)
ギュスターヴ・ド・ボーモン宛(パリ、一八三五年四月一日)
ジョン・ステュアート・ミル宛(ロンドン、一八三五年六月一三日)
ウジェーヌ・ストッフェルズ宛(ベルン、一八三六年七月二四日)
ヘンリー・リーヴ宛(パリ、一八三七年三月二二日)
ピエール=ポール・ロワイエ=コラール宛(トクヴィル、一八三八年八月一五日)
ヘンリー・リーヴ宛(パリ、一八四〇年二月三日)
ジャン=ジャック・アンペール宛(トクヴィル、一八四〇年九月二七日)

一八四〇―一八五一 政治の舞台で
兄、エドゥアール宛(トクヴィル、一八四〇年九月二日)
ジョン・ステュアート・ミル宛(パリ、一八四〇年一〇月一八日)
ピエール=ポール・ロワイエ=コラール宛(トクヴィル、一八四一年九月二七日)
アルテュール・ド・ゴビノー宛(トクヴィル、一八四三年九月五日)
ギュスターヴ・ド・ボーモン宛(トクヴィル、一八四三年一一月六日)
ヤサント・コルヌ宛(トクヴィル、一八四五年一一月一三日)
ナッソー・ウィリアム・シニアー宛(トクヴィル、一八四七年八月二五日)
妻、マリー宛(サン=ロー、木曜の晩(一八四八年三月三〇日))
ルイ・ド・ケルゴルレー宛(ソレント、一八五〇年一二月一五日)

一八五一―一八五六 クーデタ、そして『アンシァン・レジームとフランス革命』
兄、エドゥアール宛(発信地不詳、一八五二年二月一四日)
ハリエット・グロート夫人宛(パリ、一八五二年四月三日)
フランツ・リーベル宛(トクヴィル、一八五二年八月四日)
フランシスク・ド・コルセル宛(サン=シール、一八五三年九月一七日)
アルテュール・ド・ゴビノー宛(サン=シール、一八五三年一一月一七日)
アドルフ・ド・シルクール宛(サン=シール、一八五三年一二月七日)
ジャン=ジャック・アンペール宛(サン=シール、一八五四年一月一日?)

一八五六―一八五九 晩年
ナッソー・ウィリアム・シニアー宛(トクヴィル、一八五六年一一月二日)
甥、ユベール宛(トクヴィル、一八五七年二月二三日)
スヴェッチンヌ夫人宛(トクヴィル、一八五七年二月二六日)
ピエール・フレスロン宛(トクヴィル、一八五七年九月一一日)
甥、ユベール宛(トクヴィル、一八五八年二月七日)
ギュスターヴ・ド・ボーモン宛(トクヴィル、一八五八年二月二七日)
妻、マリー宛(パリ、一八五八年五月四日)
ギュスターヴ・ド・ボーモン宛(カンヌ、一八五九年三月四日)

訳者あとがき(北垣徹・前川真行)