みすず書房
近刊

生命は変換の環である

生・死・再生のディープケミストリー

TRANSFORMER

The Deep Chemistry of Life and Death

判型 四六変型
頁数 384頁
定価 3,960円 (本体:3,600円)
ISBN 978-4-622-09828-7
Cコード C1045
発行予定日 2026年1月16日予定
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生命は変換の環である

すでに半世紀以上、生物学は「情報」すなわち遺伝子を中心に回り、遺伝情報がエネルギーと物質の流れを形作るという生命観を奉じてきた。本書はその関係を転倒させる。20年前、ミトコンドリアの重要性とその進化的な意義を、ほとんど予言的とも言える慧眼で指摘した著者が、このテーマの最深部に分け入り、またもや斬新な生命像を引き出した。
「クレブス回路」について予備知識のある人は、一般には少ないだろう。それは半世紀以上もの間、学術的にも退屈な、単なる糖代謝の経路と目されてきた。だが最近はこの回路の可逆性や可変性に着目した研究が進んでいる。本書はこの回路を、生成的で可逆的でもある代謝の中枢として捉えなおす。回路の起源は生命誕生の時にまでさかのぼり、その見過ごされてきたダイナミクスが、かつては複雑な動物の進化の鍵となり、いまも身体の生死を握っているというのだ。私たちにとってのクレブス回路の意味を一変させる第4章、がんの動態と代謝を結ぶ第5章はとくに読み逃せない。
著者は異能の科学者たちによる発見の物語もふんだんに織り交ぜながら、読者を超ミクロの世界へと導いている。生化学は込み入っているが、大づかみにでも読み進めてみてほしい。生命の起源、進化、がん、老化の理解を更新する驚きの生命論だ。

目次

* 各章のシノプシスは日本語版編集部による

はじめに 生そのもの

現代生物学を支配してきたのは情報,つまり遺伝子のもつ力だった。だが問題は情報のみではない。細胞をめぐるエネルギーと物質の流れ,すなわち「フラックス」こそが,細胞が絶えず自身を再生する能力の源であり,生死を分かつ。そして,代謝フラックスの中枢に「クレブス回路」がある。

1 ナノ世界を明らかにする

クレブス回路とは何か。呼吸の謎を追ったハンス・クレブスが,精巧な回路状の糖代謝経路を発見。そのフラックスと連携してエネルギー通貨ATPが生み出される仕組みを,ピーター・ミッチェルが天才的な着想で解明する。それはあまりにも完成されて見え,クレブス回路の理解は狭い枠組みで閉じてしまった。

2 炭素の道筋

光合成で炭素がたどる道筋の解明には,異能の化学者たちが人生を捧げた。「カルヴィン─ ベンソン回路」が明らかにされ,その傍ら,「逆クレブス回路」で生合成の中間体をつくる緑色硫黄細菌も見いだされた。クレブス回路が逆向きに回る仕組みや,それが光合成以前にさかのぼる機構であることについて。

3 ガスから生命へ

海底熱水孔の環境で,逆クレブス回路に含まれる一連の生合成反応(クレブスライン)を起点に生体分子が生じ,原始細胞が形成された可能性を,地質学的・物理的・化学的に検討。また,原始細胞の増殖がヌクレオチド鎖に“意味”を与え,その正のフィードバックが遺伝子を登場させた可能性について。

4 革命

いかにして(逆)クレブス回路は逆転し,呼吸と結びついたのか? 酸素濃度の地球史レベルの変動への適応が,クレブス回路の陰と陽──生合成とエネルギー産生──のバランスを操る複雑な生物を進化させた可能性を検証する。この代謝経路の使い方は体内組織のニーズに応じて調整されうるのだ。

5 ダークサイド

遺伝子の変異ががんを生むというパラダイムがあまりにも支配的なせいで,細胞のがん化を許容するような代謝の条件がそれ以前にあることは軽視されてきたかもしれない。がん細胞が酸素の存在下で「解糖」を活性化する「ヴァールブルク効果」を,増殖成長のための代謝の切り替えという観点で見直す。

6 フラックス・キャパシター

フラックスの健全性の観点から,老化のメカニズムも再考する。老化がフラックスの尺度で計られる時間の中で漸進すること。ミトコンドリア遺伝子-核遺伝子の不適合が,適切な代謝フラックスを維持する能力を損ねる可能性。ROS(活性酸素種)フラックスと呼吸の抑制やエピジェネティクスの関連。

終章 自己

意識についても,代謝のフラックスが関与する可能性は考えられるだろうか? ミトコンドリアの膜電位と脳波の関連に注目したいくつかの報告を手がかりに,意識の駆動力について想像をめぐらせてみる。細胞膜やミトコンドリア膜に電場をもつ原生生物は,それゆえに「自己」をもつだろうか?

結び

付録1 赤いタンパク質のメカニズム
付録2 クレブスライン
略称
謝辞
参考文献
日本語版へのあとがき
索引