みすず書房

二・二六事件の民間側首謀者として刑死した北一輝の遺した著作を全3巻に編纂。
23歳で自費出版し、河上肇・片山潜・福田徳三らを讃嘆させ、明治政府により直ちに発禁になった『国体論及び純正社会主義』、辛亥革命に参加した体験を語り、ただひとり吉野作造に評価された『支那革命外史』、上海で断食40日にして書き上げ、「昭和維新」運動の陸軍青年将校らに秘密裏に読まれた『日本改造法案大綱』。これらに加え、少年時代から刑死までの論文・詩歌・書簡、二・二六事件の訊問調書など関係資料を収める。

  • 第1巻 国体論及び純正社会主義
  • 第2巻 支那革命外史・日本改造法案大綱
  • 第3巻 論文・詩歌・書簡 関係資料雑纂

北一輝(きた・いっき)

本名 北輝次郎。1883年新潟県佐渡郡湊町に生まる。佐渡中学中退後、19歳頃より論文を主として佐渡新聞に発表。1906年5月東京で、『国体論及び純正社会主義』を自費出版するが、一週間を経ずして発禁の処分を受く。同年10月、革命評論社同人となり、ついで中国革命同盟会に入党。この前後より黒竜会の内田良平、清藤幸七郎と中国革命家宋教仁との交渉始まる。1910年黒竜会編纂部に入る。1911年辛亥革命の勃発とともに11月上海に渡り、主として揚子江を中心とする革命軍の戦闘に参加。1913年日本官意による中国退去命令で帰国。1915年『支那革命外史』執筆。1916年再び上海に渡る。1919年8月『国家改造案原理大綱』をこの上海で書き上げ同年末帰国、猶存社に入る。この前後より本名輝次郎を一輝と改む。1923年『国家改造案原理大綱』を『日本改造法案大綱』と改題し伏字、削除のまま改造杜より公刊。宮中某重大事件、十五銀行恐喝事件、朴烈・文子怪写真問題、ロンドン軍縮会議の統帥権干犯問題、10月事件などに関係、怪文書を発行し、また西田税を仲介として陸軍の青年将校と結び、国家改造運動の黒幕的存在とみなされた。1936年の2・26事件の関係者として逮捕され、翌年8月19日、民間側の首魁として銃殺さる。