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2019.04.24トピックス

『庭とエスキース』外伝(奥山淳志)

(写文集『庭とエスキース』の刊行によせて、著者からエッセイをご寄稿いただきました)

母と娘、小さなエスキースのサイン

奥山淳志

弁造さんがいなくなった丸太小屋にはたくさんのエスキースが遺されていた。衝動的に描いたのだろう。買い物のレシートの裏、封筒、包装紙。部屋のあちこちにぞんざいに放り投げられた紙切れの上には、弁造さんの震える指で描かれた線によって浮かび上がる女性たちがいた。もう、この線を描いた本人がいなくなってしまったからだろうか。女性たちは瞳の先を見つめるばかりで沈黙しているように見えた。

弁造さんの遺品整理はまずこうしたエスキースを集めていくことから始まった。たったひと部屋でひとつの窓しかない小さな丸太小屋には92歳という弁造さんの人生が詰め込まれていた。食器や衣類、掃除機などの生活用具は単なるモノでしかないはずだったが、弁造さんと長い時間を過ごしていたからだろう。体温にも似た熱を帯びているようにさえ感じるのだった。この丸太小屋をそのまま残したい。部屋を見回した僕はそう思った。しかし、それは許されることではなかった。弁造さんは遺言書に自分が死んだら丸太小屋も隣にある納屋もすべて解体してまっさらにするようにと、それにかかる費用も残していた。しかも、この遺書を作るための相談を弁造さんから受けて、それならば公証人役場へ行って遺書を作成するのがいいでしょうと話したのは僕自身だった。

晩年の弁造さんは「死んだら無になる。0(ゼロ)になる」と繰り返し語っていた。そんなとき、殊更「0(ゼロ)」を強調した。弁造さんが言うゼロとは、何を足そうが掛けようが絶対に変わることがない「無」であって、それはいわゆる数学の「0の概念」が生命にも当てはまるということだった。弁造さんはこの信念に従って、自分が死んだときには70年近くも暮らした丸太小屋を無にしようと遺言書に書き込んだのだった。

「あんたにも言っておくぞ。わしが死んだら、この封筒を開けて中に書いてある通りにすりゃあいい。すべてがきれいに片付く」。A4サイズの茶封筒に大きな文字で「遺言書」と記し、そう言っていた弁造さんの顔を僕は思い返した。あのときの弁造さんは実に満足そうだった。公証人役場に何度も通い、一度作成した遺書を書き直したりしながら手間も費用もかけて完成にこぎつけたからなのかもしれなかったが、自分が逝ってしまった後のことを話す弁造さんは大きな仕事をやり終えたかのような満ち足りた表情だった。その日のことを思い起こした僕は、やはりこの丸太小屋を整理しようと再び決心した。弁造さんはもういなくなり、0になってしまったのだ。弁造さんそのものである小屋もまた同じ0になるのがいいのだろう。

でも、絵に関するものだけは無に帰すことはできないと思った。子供の頃から絵描きになる夢を抱き続け、挫折を経験しながらも弁造さんは最晩年まで絵筆を握り続けた。弁造さんにとっての絵は、老いを深めるにつれて重要度を増した。ただ、思うようにすいすいと描けたわけではない。部屋の真ん中には大きなイーゼルがあり、そこに立て置かれているのはいつまでたっても完成しない絵だった。弁造さんは「いつかは個展をしたい。絵描きが個展を開かん理由はない」と語っていたが、絵はいつまでたっても完成することがなかった。弁造さんに残された時間が多くないことは誰の目にも明らかで、僕はいつも完成をせっついたが本人は僕の意見など半ば無視するかたちでエスキースばかりを描いていた。絵を描き上げたいという弁造さんの思いは痛いように理解していたが、僕の目の前にいるのはどうしても描ききれない弁造さんだった。

そして、こうして逝ってしまっても、イーゼルの上にあるのはやはり完成していない絵だった。でも、きっとこれは弁造さんなのだ。生まれ、死んでいくまで生は途上であり続ける。そう思うと、途上のなかにあるエスキースはまさに弁造さんの生を宿したものであるように思えた。これらはすべて残そう。弁造さんが絵に何を込め、絵から何を得ようとしたのか。これらはきっと、弁造さんという存在を考え続けていく大切な材料になるだろう。そこから僕が弁造さんを通じてずっと探していた“生きること”のヒントが見つかるのではないか。それは確信に近い思いだった。

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copyright© OKUYAMA Atsushi 2019

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