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鳥飼玖美子『通訳者と戦後日米外交』

パイオニアのオーラルヒストリー、戦後史の真相も明かす画期的通訳学

通訳者とは見えない存在である。したがって、外交交渉などの場で通訳をしても、通訳者が果たした役割は公式の記録からは見えてこない。誤訳の際にマスコミに取り上げられる以外は、会議参加者の後日談に断片的にその役割が語られるのみである。守秘義務という制約もあり、通訳者の真意が公になることは、ほとんどないと言ってよい。

本書『通訳者と戦後日米外交』では、戦後日米関係の構築に深く関わった通訳者にインタビューを実施し、その証言から通訳者の役割の一端を洗い出し、外交史における通訳の意義が考察される。取材した通訳パイオニアは

アポロ月着陸の衛星中継をNHKで同時通訳し「アポロの同時通訳」として全国に知られた西山千、
憲政の父・尾崎行雄の次女に生まれ岸信介首相など政治家の通訳を多く務めた相馬雪香、
経済関係の通訳に長け、サイマル・インターナショナル初代社長となり「ミスター同時通訳」と親しまれる村松増美、
NHK教育テレビ講師から三木武夫外務大臣秘書官、三木内閣外務省参与等々に活躍し「同時通訳の神様」と呼ばれる國弘正雄、そして
沖縄返還をはじめ数々の外交交渉やサミットなどで通訳を担当しNPO法人通訳技能向上センターを設立、理事長を務める小松達也

の五氏。重要な会議や対外交渉の場で通訳に携わった通訳者の内面にまで踏み込んだ聞き取りは圧巻で、戦後政治史秘話としても、きわめて貴重なドキュメントだ。

著者は、大学在学中より活躍してきた日本の女性同時通訳者の草分け、説明不要の活躍ぶりは読者がよくご存じだろう。文化放送「百万人の英語」やNHKテレビ「英会話」の講師をはじめ英語教育の最前線を担ってきた第一人者でもある。本書はその豊富な体験をフルに活かした通訳論であり、日本で初めて通訳者の社会・文化史的意義を考察した重要書だ。通訳という仕事の社会学的研究としても貴重なもの。経験・知見に基づく本書は類のない深みに達し、また、驚くべきエピソードに満ちている。中曾根康弘の首相時代に起こった「不沈空母」発言事件における村松増美の通訳(p.275-293)、通訳者の使命とは何かを鋭く問いかける相馬雪香のエピソード(p.299-301)、三木武夫の通訳をつとめ、通訳者の域をはるかにこえた役割を演じてみせた國弘正雄(p.307-313)の回顧談。これらは、驚きと感動を伴う迫真のドキュメントである。
著者は現在、異文化コミュニケーション論専攻の研究者として活躍している。この通訳論・通訳研究の力作を、通訳者として仕事をしている人、通訳者を志す人、通訳の世界を深く知りたい人びと、また、コミュニケーション論や外交問題に関心の強い人に、それぞれの観点からぜひ、ひもといていただきたい。

 



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