みすず書房

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『イラク戦争のアメリカ』

ジョージ・パッカー 豊田英子訳・酒井啓子解説

今年11月に迫ったアメリカ大統領選に向けた報道が、日本でも目立つようになってきた。ブッシュ現大統領による年頭の一般教書演説はかつての勇ましさを失い、サッダーム・フセインはとうに処刑され、イラクの状況はもはや自爆テロの被害者数という形で散発的に報道されるのみとなった。イラク戦争はすでに過去のこと、という雰囲気ができつつある。しかしイラクでは何も終わっていないことを考えると、これはとてもおかしな状況だ。

本書『イラク戦争のアメリカ』の著者は、諸外国民の態度は、とどのつまり「これはブッシュの戦争なのだから、失敗すればそれはブッシュの失敗なのだ」というものだったと言う。米軍侵攻直後のほんの一時期、イラク市民がまだアメリカを「解放者」と受け止めていたころ、イラク市民が米兵を歓迎している映像を見て厭な思いをした反戦論者は少なくなかっただろう。サッダーム・フセインの銅像が引き落とされたとき、曲がりなりにもイラクで初の選挙が行われたときも、同じ反応があった。そしてその後、事態が泥沼化してくると、憂慮すると同時に安堵するようなムードが広がった。とくに2004年のアメリカ大統領選のとき、民主党候補らにとって、イラクの状況は悪くなれば悪くなるほど彼らの有利に働いた。人道的、道徳的観点からイラク戦争に反対していた人々の態度が、皮肉にも非人道的になった瞬間だった。そして、主戦派と反戦派が互いに理は我にありと声高に叫ぶ一方で、それがもたらした現実の重みを一手に背負っていたのは、犠牲になったイラク市民と、死傷した米軍兵士とその家族だった。

『イラク戦争のアメリカ』の11章は「戦没将兵追悼記念日」と題され、戦死した兵士とその家族が払った犠牲について描いている。戦争には反対の立場を守りながら、戦争プロパガンダの常套手段である「兵士の英雄化」に加担することなく、犠牲を払った兵士とその家族の想いを理解しようとすることは難しいかもしれない。しかし、米政府のすさまじい無責任ぶり、反戦派がイラクの安定化に対して抱くねじれた感情とあわせて、イラク戦争で戦死することの意味を考えるとき、この「数世代に1回起きるかどうかの大失態」への理解は深まるということを本書は教えてくれる。

著者パッカーのイラク戦争への立ち位置は微妙だ。しかし、だからこそ本書は、この戦争に潜む真の問題に目を開かせてくれるのではないだろうか。(2008年2月)




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