みすず書房

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『精神疾患は脳の病気か?』

向精神薬の科学と虚構
[エリオット・ヴァレンスタイン 功刀浩監訳・中塚公子訳]

抗うつ薬の副作用の問題、インフルエンザ薬タミフルが関連する行動異常の問題など、日本でもいくつかの社会問題を通じて、薬物の精神作用の「不可解さ」が顕在化している。その一方で、向精神薬について「いまや科学的におおよそ理解されているはずだ」という過信が広がっていることは、リタリンのずさんな処方と依存症の問題など、向精神薬に関する不見識や、無造作な処方の事例にも表れているのではないか。中井久夫先生の推薦文にある「精神薬理学はどこまで科学的検証に耐えるだろうか?」という疑問が、21世紀にいまさらのように提起されなければならない現実を、どれだけの人が正しく認識しているだろう。

著者ヴァレンスタインは、向精神薬について科学的に何がわかっていて、何がわかっていないのかを、ミクロすぎずマクロすぎない独自の視点できちんと押さえている。そして、薬の作用の科学的不明瞭さに付け入っている種々の利害構造が存在することまで周到に論じている。この翻訳企画を進めることになったのは、デイヴィッド・ヒーリー『抗うつ薬の功罪』が提起していた問題に触発されてのことだった。つまり、向精神薬の開発と評価のプロセスが、よりハイテクな手法、より大規模な手法へと偏るにつれ、実験室での開発から患者の口に入るまで薬がたどる全行程を、巨大製薬企業が実質的に掌握する傾向が強まっているという指摘。そしてそれが薬の安全性を脅かしているという警告である。この状況の中で、向精神薬の科学の現状を利害関係のない立場から客観的に位置づけようとするヴァレンスタインの本の価値を、日本でも幅広い読者に活かしていただきたい。

一つ注意を喚起しておきたいのだが、本書は向精神薬の利用に反対するものではなく、向精神薬の効能を否定するものでもない。むしろ、一般的には向精神薬にはまぎれもない効果があると認める立場だ(著者自身が本の中で何度も強調している)。そして、まぎれもない効果のあるものが薬として選ばれてきた歴史を、最初にしっかりと書いている。そのうえで、薬を「魔法の弾丸」のように捉える不適切なイメージを暴走させないために、正確な認識を共有しようと呼びかけている。生物学的精神医学の盲信に対しても、反科学的精神医学の再燃に対しても、本書はブレーキになるはずだ。




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