みすず書房

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臨床現場の現実を映す苦闘の記録

細澤仁『解離性障害の治療技法』
『DSM-V研究行動計画』クッファー他編/中井久夫他訳

アメリカ精神医学会が刊行している精神疾患の診断基準、DSM(『精神疾患の診断・統計マニュアル』)は、第4版(DSM-IV, 1994)となったいま、アメリカのみならずわが国の精神科臨床においても支配的な診断基準となっている。1952年にDSMの初版が刊行され、版を重ねていることからもわかるように、精神障害は時を経るとともに診断分類、診断基準は変わり、新たな診断名も加わっていく。

「解離性障害」もその一つであり、DSM-IVで初めて登場した診断名である。精神医学の歴史を紐解けば、DSMが誕生する以前「ヒステリー」と呼ばれ、ピエール・ジャネら19世紀の精神医学者たちの心をとらえつづけた疾患があった。やがてその疾患は「多重人格性障害」と呼ばれ、DSMに初めて登場するのは1980年の第3版(DSM-III)である。そして今日、多重人格は解離性障害の一種「解離性同一性障害」として現代の精神医学者たちの前に変わらず立ちはだかっている。

細澤仁『解離性障害の治療技法』は、鑑別診断や個別の治療技法のみならず、診断名・診断分類の先にあるもの――人間存在としての「解離」症状についても考えさせる。本書にある7年10カ月にもおよぶ解離性同一性障害患者の治療過程の記述は、精神科治療にとってどれほど患者の生活史が重要な役割をするのかを教えてくれる。そしてまた、精神分析の知識や技法がけっして古びたものでなく、患者の生活史から疾患を診て、治療に生かしていくための有効な方法であることをも示している。治療者の目の前にいるのは、ただ分類された診断の枠の中にいる「患者」でなく、絶えず変化し、成長をつづける人間なのである。

この『解離性障害の治療技法』は、ほぼ同時期に刊行したクッファー他編『DSM-V研究行動計画』ともども、いまの精神医学と臨床現場の現実をはっきりと映し出している。ある人の症状について、医師は一定のカテゴリーにもとづいた診断名を考え、言語化しなければならない。そのさい医師がたよるのは、DSM-IVであることが多いだろう。しかし、そこからこぼれおちてくることも多く、誤診にもつながりかねない。『DSM-V研究行動計画』は、現状の問題点をすべて洗い出し、現行のカテゴリー的なアプローチに代わるディメンジョナル・モデルの可能性を考えたり、各文化や人種・ジェンダー・宗教の違いなどを体系にどう組み込むことができるかを探ったりしながら、マニュアルの有効性と限界を明確にしようとする苦闘の記録でもある。

「苦闘の記録」というのは、診断基準の現状をずばっと批判するだけでは事態は変わらないことを、医師たちは日常の臨床現場をみて知っているからである。現行の診断基準に不信の眼を向けるだけでは、ひとりの患者を前にして、医師はただ茫漠たる思いで手をこまねいていることしかできないかもしれない。患者の生活史を丹念に追い、さまざまな症例に目を通し、現行の診断基準を参考にしながら、さまざまなアプローチをして患者と付き合い、着地点を想定していくこと、この二つの新著に通底しているのは古くて新しい問い「医師‐患者関係とは何か」である。




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