みすず書房

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國分功一郎『スピノザの方法』

◆著者からのメッセージ◆

ベルクソンはこんなことを言っています。哲学者の書物を何度も読み、その思想に慣れ親しんでいくと、何か単純なもの、あまりに単純で哲学者自身が言い当てられなかった何かに出会う、と(『哲学的直観』)。哲学者の書物は難解で抽象的な概念に覆われています。しかし、それはこの単純なものを表現するための手段であり、それに到達するためにこそ哲学者は抽象的な概念を駆使してものを書き続けるのです。この単純なもののことをベルクソンは「直観」と呼んでいます。
では、この直観はいかなるものでしょうか? ベルクソンはこう言います。哲学者本人でも表現しきれなかったこの直観をわれわれ読者が表現できるはずがない。しかし、私たちにも捉えることができるものがある。それはこの直観と抽象概念との間にあるイメージである……。後にジル・ドゥルーズはこのイメージを「思考のイメージ」と呼び、いかなる哲学的理論もなんらかのイメージを前提にしていると論じることになります(『差異と反復』)。

私は哲学の本を読むときに大切なのは、その哲学者の「思考のイメージ」を捉えることだと思っています。さまざまな哲学的概念の定義を暗記していくのも大切ですが、このイメージに出会うことができなければ、その哲学者を理解したとは言えないでしょう。簡単に言えば、「この哲学はこんな感じの哲学だ」というイメージをつかむということです。 『スピノザの方法』を書くにあたっても、スピノザの「思考のイメージ」をつかむことが大きな課題でした。それにはなかなか難儀しましたが、私はひとつのヒントを手に入れました。それはスピノザに大きな影響を与え、またスピノザが乗り越えようとしたデカルトの哲学と比較してみるということです。この作業を進めるなかで、それこそ私はある「直観」を得ました。それが、説得を求める哲学と説得を求めない哲学という区別です。
デカルトは説得を求める哲学を構想しました。彼の言うコギトの真理とは、どんな懐疑論者であっても説得してしまう「一撃必殺の真理」です。彼はそんな説得の要請を念頭に置きながら壮大な哲学体系を難解な概念を駆使して構築していきました。それに対しスピノザは、説得の要請こそがデカルトの哲学を歪めてしまっていると考え、説得を求めない哲学を構想したのです。

スピノザの『知性改善論』に現れているのは、説得の要請から限りなく遠いところにある真理観です。そして、同じくスピノザの『デカルトの哲学原理』に現れているのは、なんとかして説得の要請からデカルト哲学を引き剥がそうとする読解態度です。私の本はこのふたつの柱を立てたうえで、『エチカ』を読むための基礎論をつくりあげようとしています。
スピノザの名前はよく知られていますが、『エチカ』の幾何学的様式による叙述は、スピノザに関心をもった多くの読者をなかなか寄せ付けないところがあるようです。『スピノザの方法』はスピノザが要するに何をやろうとしているのかを明らかにしていますので、読者のみなさんがスピノザ哲学に親しむにあたっての一助になるはずです。スピノザに関心はあるけれど……という読者の方々にぜひとも本書を手にとっていただきたいと思っています。

國分功一郎

じんぶんや第六十八講・國分功一郎選
「スピノザに近づいてみる――「倫理」と「思考」のための60冊+α」のお知らせ

紀伊國屋書店新宿本店5階売り場では、月がわりに選者とテーマを設定した「じんぶんや」フェアが開催されます。その68回目は、本書刊行にあわせて著者のおすすめ本、哲学の両雄スピノザとデカルトの著書からユダヤ思想や脳科学、フェルメール、さらには絵本・児童書の類まで、スピノザを読むための水先案内となる選書群が「思わず読みたくなる!」コメントとともに並びます。期間は2月11日(金曜日)より一カ月間。ぜひお立ち寄りください。
じんぶんやとは? http://www.kinokuniya.co.jp/04f/d03/tokyo/jinbunya/what.htm

また先日「イベント情報」でもお伝えしましたが、ジュンク堂新宿店での本書刊行記念トークセッション「スピノザの哲学原理」は2月19日(土)午後6時30分開演です。著者のトークのお相手は『アンチ・オイディプス草稿』の共訳者でもある千葉雅也さん。こちらもよろしくお願いいたします。
http://www.junkudo.co.jp/tenpo/evtalk-shinjyuku.html




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