ヤン・コット 私の物語
PRZYCZYNEK DO BIOGRAFII

判型 | 四六判 |
---|---|
定価 | 3,850円 (本体:3,500円) |
ISBN | 978-4-622-01094-4 |
Cコード | C0097 |
発行日 | 1994年12月12日 |
備考 | 現在品切 |

PRZYCZYNEK DO BIOGRAFII
判型 | 四六判 |
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定価 | 3,850円 (本体:3,500円) |
ISBN | 978-4-622-01094-4 |
Cコード | C0097 |
発行日 | 1994年12月12日 |
備考 | 現在品切 |
『シェイクスピアはわれわれの同時代人』を読んだ人なら誰でも、ピーター・ブルックの次の言葉をたちどころに了解するだろう。「ヤン・コットはシェイクスピアについて直接に語る。いつ真夜中に警察に叩き起こされるか知れぬような書き方で書いたのは彼だけである」。マクベス夫人を、リチャード三世を包む血塗られた夜明け、それはまた、ヒットラーを、スターリンを経てきた、この世紀の夜明けでもあった。
1914年生まれのヤン・コットは今年80歳になったが、まだ生きているのが不思議なくらいだ。ポーランド系ユダヤ人として生を享けた青年はパリのシュールレアリスムの中で「感情教育」を始めた。それもつかのま、39年にソ連とドイツによって引き裂かれた故国に立ち戻り、かろうじてシベリア送りをまぬがれる。「ショア」に向かってゆくポーランド……。名を変え、他人になりすまし、危機をくぐり抜ける抵抗の日日がつづく。そして、戦後になっても新たな恐怖政治が始まっただけだった。
死者の行列、虐殺された希望、狂気の愛、償い得ない憎しみ……。「すべての仲間がもういない。遂に私は一人である」。これが、「もうひとつのヨーロッパ」においてテロルの時代を生き抜いた男の結語である。