シーニュ 1
SIGNES VOL.1

判型 | A5判 |
---|---|
頁数 | 288頁 |
定価 | 6,270円 (本体:5,700円) |
ISBN | 978-4-622-01935-0 |
Cコード | C3010 |
発行日 | 1969年12月10日 |
備考 | 現在品切 |

SIGNES VOL.1
判型 | A5判 |
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頁数 | 288頁 |
定価 | 6,270円 (本体:5,700円) |
ISBN | 978-4-622-01935-0 |
Cコード | C3010 |
発行日 | 1969年12月10日 |
備考 | 現在品切 |
記号とは、すなわち、完全なアルファベットでもなければ、一貫した論述でもなく、むしろ、われわれが出来事や本や物からまるで視線のように受けとる突然の信号ことである。
いや、われわれは出来事や本や物から受けとっているかに思っているが、おそらくは、われわれの方がおのれの何かをそこに入れこんでいるのであろう。それらのことづてのうちには、いくつかの常数が存するからである。哲学においては、視覚、効験ある言葉、肉体の形而上学的機能、見えるものと見えないものとの厳密に同時的な交換、といった観念がそれである。政治においては、息づまりそうな機構、麻痺した機構、恐怖の機構が転換不可能なものではないのだといった感じ、おそらくは今日の世界が(フランスについては余り言いすぎないことにしよう)、クラウゼヴィツのいわゆる「絶対戦争」のような死を賭した闘いである絶対政治から、かれのいわゆる「現実的戦争」のように、たいていは象徴的殺害にとどまる現実政治へと移行しつつあるという感じ、これがその常数なのである。
したがって、もし著者の読みとり方が正しいとすれば、これらのシーニュはそれほどの凶兆というわけでもなさそうである。