みすず書房

本書は、パリでの久しい学究生活に培われた批判精神と、めぐまれた繊細な感受性とが一つの流麗な文章の中にとけあって静かな感銘を呼んだ『パリ随想』、『続・パリ随想』に続く第三エッセイ集である。
胃、胆嚢切除という大手術後の病?を押して、1980年2月70歳の生涯を閉じるまでの最晩年の生活と思索を綴った「日本訪問記」が本書の主体をなしている。異国で病と闘いながら祖国に想いをはせ、科学と宗教を論じ、真理を求めてやまぬひたむきな心情を表出した著者の絶筆である。死の淵に立ってなお尽きることのない研究への情熱と生への誠実な問いかけは読む人の感動を誘わずにはおかない。
日本における初の女性物理学者が単身フランスに留学し、ジョリオ・キューリー教授に師事するまでの旅立ちの記「“離脱”の詩」と、フランスにおける科学の状況や日仏文化の比較などを祖国の同胞に伝えたエッセイ集『黒葡萄』が本書に併録されている。これらの若き日のみずみずしい文章は、著者の昔日の面影と晩年への軌跡を彷彿させるとともに、歳月を隔てたコントラストは、著者の一貫した姿勢を浮彫りにし、生きられた時間の重みを感じさせる。

[1981年1月初版発行]

目次

日本訪問記
1 遠い日本、近いフランス
2 個人の境界、再び病人の立場にたって、ほか
3 光と蔭と——ジャン・ゲーノー氏を悼む
4 光と蔭と——医者との対決について、生と死について
5 絶筆
黒葡萄(むすか)
序に代えて/早春のパリから/滞仏日記から/生活断想——パリにて/フランスの子供の生活/赤い月夜の思い出/私の夢じらせ/修道院にて/科学と宗教/知識の限界/現代フランス科学者の思想的動向/科学する心/科学は人類を幸福にするか/客観視する精神といだきあう精神/ジョリオ先生への手紙

付「離脱」の詩
解説 山崎美和恵

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