みすず書房

日本で最初の国際的な女性核物理学者、湯浅年子は、第二次大戦勃発直後のフランスに渡った。憧れのキュリー研究所に入所、ナチ占領下での苦難の研究生活が始まる。しかし戦火は激しくなり、その研究もままならず、ベルリンへ。それもつかの間、シベリア鉄道経由で日本へ送還され、敗戦の日を迎える。その間、彼女の自由な意志と選択を支持した両親の死という悲劇をも経験した。
戦後、母校(現お茶の水女子大学)の教壇に立ち、わずかな間にも若い人に深い影響を与えるが、思いは止みがたく、再び独りパリへと旅立つ。ジョリオ=キュリー教授の下で原子核物理学の研究を再開。そしてかの地に倒れる最後の瞬間まで、その営みは続けられた。
 吾想この世限りのぜいつくし
 命はてなば悔のこらざらむ
異郷にあって女性科学者としての道を切り拓いていったひとの軌跡を、彼女自身の歌と日記と手紙で綴った稀有の記録であり、感動のヒューマン・ドキュメントである。

[1995年10月初版発行]

目次

刊行に寄せて  坂井光夫
湯浅年子先生紹介
凡例

1 旅立ちまで(1909-1940)
私の選んだ道/幼い頃/清からむ/旅立ち前
2 パリに想う(1940-1944)
パリは怒濤に揺れて/想いは歌に/高まる潮騒の中で
3 戦争の痛手は深く(1944-1949)
崩れるベルリンにありて/敗戦の祖国で
4 再びのパリ(1949-1968)
再びのパリ/月影白く/死は近きにあり/師との別れ
5 さらなる歩みを(1962-1972)
怪我のあと/さらなる歩みを/耐えてなお
6 生のあかしを(1973-1980)
病い/生のあかしを/最後の祖国で/夕潮に抗いて

著作リスト・年譜
編者あとがき

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