みすず書房

「今、この国の多くの中高年層の感情はこわばり、他者との開かれた交流能力を欠いている。……共感力や想像力において、あまりにも貧しい人々が多い……」(本文「こわばった感情」より)

本書では、現在、多くの日本人を覆う、こういった基底より、様々な問いや思索が試みられる。陰湿化する事件や犯罪、教育現場の荒廃、本末転倒の政治、戦争への不穏な動向など、今の日本が抱える諸問題の原因を、明快に指摘し鋭く衝く、待望の第2エッセイ集である。

1998年1月から2003年5月までに各紙誌に発表された平均1800字程度の文章を一冊に編んだ。確かな教養と知性に裏打ちされた、政治・社会・文化への辛口批評として存在感の強い一冊となっている。批判的精神が的確な言葉で語られており、様々な思索の刺激となるだろう。全体をテーマごとに構成、編集を試みた。章立ては以下のとおり。

人間について/文化・文明について/社会について/宗教について/民族について/政治をどう考えるか/歴史の認識・戦争再考/教育をめぐって/精神の問題/事件・犯罪の背景/医療の現場を問う/マスメディアについて/震災から学ぶこと

渾沌に満ちた時代の極限状況の中で、それでも、人間への希望を見ていこうとする強い眼差しを湛えた同時代批評集。

著者からひとこと

『背後にある思考』(2003年8月)に続き、同様に、白地にニコラ・ド・スタールの絵で装訂された評論集『共感する力』(2004年1月)を出した。みすず書房の装訂家による美しい装訂、自著ながら、すっかり気に入っている。

前著『背後にある思考』の一文を、今年1月、司法試験に使ったと法務省より連絡があった。この文章は、信濃毎日新聞に掲載された原稿紙2枚のものなので、試験問題には短すぎる。よく使ったものだと思った。だが、今回の『共感する力』は、5、6枚の文章が多い。たとえば、1999年9月20日の北海道新聞に載せた「現実主義者の実像」は、小樽商科大学の小論文試験の課題に使われていた。いつもは当り障りのないエッセイが使われるのに、正面から保守政治家や体制御用学者を批判した文章を入試問題に使ってくれたのが嬉しかった。こんな思い出の文章が『共感する力』に収録されている。

1990年代から、現実主義という国家主義が横行している。そこには強く、共感する能力の欠如を感じる。正しく言えば、悲しむ人、苦しむ人、強者の暴力に泣き叫ぶ人への感情移入の欠如である。

「普通の国」になる、過去の戦争のことは知らぬ、国益を基準に判断する、といった主張には、強者へのコンプレックスや同一化はあっても、共に生きる人間への共感はない。こんな人びとが政治家や公務員として続く時代になっている。この現象は、〈何をしても世の中は変わらない〉という大衆の無関心と重なりあって、今日の社会状況をつくっているようだ。(2004年3月 野田正彰)