みすず書房

2003年、アドルノ生誕100年を迎え、近代の啓蒙と野蛮を鋭くあぶり出したこの思想家の著作と、その批判理論のアクチュアリティが、ますます真摯に問いなおされようとしている。

そのなかで著者は、初期の講演「自然史の理念」から後期の『否定弁証法』まで、アドルノの一貫したモティーフでありつづけた「自然史」に焦点をあて、複雑に錯綜するアドルノの思想を解きほぐしていく。

「歴史的に生成した制度や慣習が「第二の自然」へと物象化される事態を見据えるとともに、歴史とは無縁なはずの自然のなかにも時間的・歴史的な契機を確認しようとする視座、それが「自然史」という発想である。」(本書より)

自然(太古から不変のもの)と歴史(新たに生起するもの)の対立を廃棄し、「自然と歴史の宥和」から照射される非同一的なもの、破片、アレゴリーのなかに、移ろいゆくものとしての自然史の理念を救出する。カント、ヘーゲル、マルクス、フロイト、フッサール、ハイデガー、ルカーチ、ベンヤミンといった思想家たちの、星座的布置におけるアドルノの「場所」を探り、周到な問題設定と、テクストの襞に分け入る詳細な読解で、今日のグローバリゼーションやネオリベラリズム批判にも通じるアドルノ思想の現代性を問う、渾身の力作

著者からひとこと

『アドルノの場所』は、私が14年間にわたって書いてきたアドルノ論を集成したものです。アドルノにたいする自分の向き合いかたもずいぶん変っていったと思いますが、その間に2回の引越しをあいだに挟んで、私の生活の場も移り変わってゆきました。大阪と京都のほぼ中間に位置する茨木市から、京都をへて、2003年4月からは兵庫県の中部、京都府よりにある故郷の篠山に暮らしています(丹波篠山と言えば、分かってくださる方もあるでしょうか)。堺市にある大阪府立大学まで、往復5時間の日々です。

その篠山でいま私はあらためて、自分の故郷に刻まれていたもうひとつの歴史に出会いつつあります。私は一方で在日朝鮮人の詩人・金時鐘さんなどをとおして、日本と朝鮮半島の歴史についても考えようとしてきましたが、それは私の故郷にもくっきりと影を落としている問題だったのです。子どものころよく遊んだ山——畑山と言います——は、日本でも有数の珪石鉱山として知られ、とくに戦時中は朝鮮半島出身の多くのひとがそこで働いていました。そのなかには、強制連行されたひとも80人あったようです。しかし、私はそれらの事実をあらためて故郷に戻るまで知りませんでした。

現在日本では、戦後のあり方を根本的に変えようとする動きが活発です。とりわけ、9条の改憲と自衛隊の正式の軍隊化へ向けた動きにはいっそう拍車がかかるものと思われます。これにたいして、私はいわば世代的な真実をかけて抵抗しなければならないと思っています。私自身の名前が「和之」であるように、戦後世代の多くには、女性なら和江、和代、和子、男性なら和夫、和正、和也といった名前が付けられています。そこに籠められた親たちの想いにけっして嘘はなかっただろうと思います。そこに、韓国済州島出身の政治学者・李静和さんの名前などを重ねると、私は胸が熱くなってきます。

来年(2005年)1月22日には、震災10年を迎える神戸で、金時鐘さん、季村敏夫さん、それに私の3人で、ソシエテ・コントル・レタという港大尋さんのバンドとともに、詩と音楽のライブ・セッションを行います。私は自作やツェラーン「死のフーガ」の朗読のほかに、ギターを弾きながらあの「ドナドナ」をイディッシュ語で歌います。そして、この活動を今後何らかの形で継続するつもりです。「アドルノの場所」に向けて、私の場所から、私自身の名前の記憶を掘り起こしながら……。(2005年1月 細見和之)