みすず書房

リンさんの小さな子

LA PETITE FILLE DE MONSIEUR LINH

判型 四六判
頁数 176頁
定価 1,980円 (本体:1,800円)
ISBN 978-4-622-07164-8
Cコード C0097
発行日 2005年9月16日
備考 現在品切
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リンさんの小さな子

戦禍の故国を遠く離れて、異国の港町に難民としてたどり着いた老人リンさんは、鞄一つをもち、生後まもない赤ん坊を抱いていた。まったく言葉の通じないこの町の公園で、リンさんが知り合ったのは、妻を亡くしたばかりの中年の大男バルクだった。ところが…。現代世界のいたるところで起きているに違いない悲劇をバックにして、言語を越えたコミュニケーションと、友情と共感のドラマは、胸を締め付けるラストまで、一切の無駄を削ぎ落とした筆致で進んでゆく。ベストワン小説『灰色の魂』の作者が、多くの読者の期待にこたえて放つ傑作中篇。フランスと同時に刊行される最新作。

編集者からひとこと

今年もフランクフルト国際ブックフェアに参加した。世界最大かつ歴史ある国際ブックフェアだ。ドイツの出版社が占めるホールは、地元の一般来場客もつめかけ大混雑だが、メインはやはり、翻訳権をめぐって世界各国の出版関係者がくり広げるさまざまな活動だろう。「フェアは翻訳権を売り買いするところ」という言い方を耳にすることがあるが、その場で「売り買い」することはごく稀だ(売り買い、という表現も本当は変なのだが)。小社のようにもっぱら翻訳権を「買う」出版社は、海外の版元やエージェントと次々に会い、めぼしい本を選び出し、見本を注文するということをひたすら繰り返す。と言うと、なんだか味気ないだろうか。もちろん、話の盛りあがる相手あり、喧嘩になりそうな相手あり、初めての相手あり、旧交を温める相手ありで、昼間のいわゆる「ビジネス」活動もじつはいろいろだ。それに、フランクフルト・ブックフェアとは、そもそも本をめぐって人々が集う祭りである。作家も多く招待される。会期初日の夜は、まさにそんな夜だった。

フィリップ・クローデルを囲む夕食会に出席した。各国語版の出版社が招待され、会場はフランクフルター・ホフ・ホテルである。到着すると、版元ストック社の面々とクローデル夫妻が迎えてくれた。さっそく頼まれていた茶葉を手渡す。クローデル一家は、この春に来日してからというもの日本茶の虜なのである。「たぶん、これで当たりだと思うけど」と言うと、妻のドミニクが「大丈夫。だって、わざわざ私たちが買った店まで行ってくれたんだもの。フィリップから聞いたわよ」。えっ? 確かに、彼らの愛飲茶がどんな茶葉か詳しく尋ねたが、同じ店まで行くなんて、私は一言も言わなかった。しかし結局、出発直前の慌しさのなか、私は遠方のその店まで行っていたのだった。小説家の洞察力は恐ろしい。それから台湾のお土産だと渡された包みをひらくと、ビーズ細工の蝶だった。嬉しくなる。蝶には意味があるのだ。

夕食会の会場には各国語版が飾られていたが、小社刊『リンさんの小さな子』の装画は、その中で唯一、作家自身の描き下ろしだ。きっかけを作ったのが、原書の帯にあしらわれたクローデル作の小さな小さな蝶の絵。一体どうやって著者に装画を描かせたのか聞かれるたび、その蝶の絵のことを言ったのだが、みな一様に「気がつきませんでした・・・」という反応。気づいたのは小社の担当編集者、尾方だけらしい。少々鼻が高くなり、じつは微妙なやり取りがあったのだが、「本当はあの蝶を使おうと思ったのですが、小さすぎるので、もっと大きなのをひとつ頼みますよ! と言ったら、あれが届いたんです」とうそぶく。韓国語版を準備中の編集者が「なんてうらやましい!」と叫んだ。思わず原画を貸す約束をした。

各テーブルでの歓談がゆるやかに盛り上がるなか、編集長のJ. M.ロベールがスピーチ。「クレオフェのデビュー作Les ames grises des anes(『ロバたちの灰色の魂』ames =魂anes =ロバ)でヒットを飛ばして、またここで夕食会をやりたい」と言って笑いをとる。クレオフェはクローデル家の一人娘。学業の傍らデビュー作を執筆中の九歳である。それにしても、クローデル本人のスピーチがなかった。しかし日本に帰ると、クローデルからちょっとしたメッセージが届いていた。彼らしい。あの晩の楽しい雰囲気が、一瞬、立ちのぼったような気がした。(2005年11月 中川美佐子)

書評情報

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