みすず書房

「ようやく私のような者でも、〈私〉が生きてここにいることにそれなりの意義があるのだと思える本ができ上がった。この本にオリジナリティがあるとすれば、源は精神分析本来の劇的観点と、精神科医としての経験、そして舞台人としての私のささやかな体験そのものであり、その間にこそ私の個性的な立脚点があるからだ。加えて、症例や私自身の内的世界を詳しく語らないままで、若き日のエッセイや歌詞など、私自身のすでに公開されたところを活用することが、〈私〉に関する問題や視点の提起を容易にさせたのである。つまり、パーソナルコミュニケーションの極致にある精神分析と、マスコミ活動という両立し難いものの接点で私は随分と格闘してきたが、その結果や成果がここに書き込まれていると言える」(「あとがき」より)
今日、精神分析の臨床は、患者やクライエントの症状の意味を分析することから、人が生きることを抱え、共に考え、そして失敗することへとその力点を移している。意識と無意識、外と内、人間と動物、大人と子ども、日本語と外国語、普通と普通でない……〈私〉を分かつ社会の二分法や二重性をこえて、〈私〉が本来の在り方を確保するために。「心の台本を読む」「治療室楽屋論」など、人生の営みを演劇的なものと捉えてみること、そして〈私〉の心の台本に気づき、読み取り、かみしめること。かつて舞台人として楽屋を愛した著者の、独創的で体験的な〈私〉の時代の精神分析論。

目次

はじめに——私が私でいるところ
I 感動と創造性
II 非対面法のすすめ
III 外から内へ、表から裏へ
IV 普通が分かるということ
V 心の台本を読む
VI 治療室楽屋論
VII 劇としての人生
VIII 抵抗劇——治療記録から
IX 治療物語の定番——「傷ついた治療者」
X 動物と人間のあいだに——「見るなの禁止」をこえて/「合い/合わない」が生まれるところ/歌が生まれる——「まんじりともせず」
[付]I 「詩人と空想すること」——芸術家に対するフロイトの羨望、嫉妬と創造性/II 「夕鶴」問題——世話する側の健康、傷つき、そして死
あとがき——一人ひとりの〈私〉のために