みすず書房

〈常任理事国が拒否権を発動すると何もできないんです、国連は。ですから、僕は本当は国連が主権国家の代表だけじゃなくて人民も代表にしたほうがいいと思うんですね。アメリカ憲法のようにしたらいいと。上下両院を設けるんです、国連に。上院は主権国家の代表、つまりアメリカの各州の代表が上院でしょ。人民が直接選ぶのが下院ですね、それと同じように。主権国家というのはなかなか強いですから、歴史も由来もあるから、上院は今までのように主権国家。下院は国家にかかわらず人民投票で国連の議員を選ぶ。そういうふうにしたらどうか。そして選ばれた議員は国籍を離脱する。辞めればまたどんな国籍にも帰れる。国家の代表じゃないということをはっきりすれば、もう少し国連が強くなる。〉(「戦争観の変化と東アジアの近代化」1988年6月)
〈マルクス・レーニン主義によるということになった結果、その前にあった割合豊富な思想というのは切られちゃって、非常に狭くなった。五・四からやり直すということは、一九四九年の革命が意味がなかったということでは決してないんです。それも含めて、五・四がなければ四九年の革命は絶対にできなかった。ですからもう少し基本的に問題を考えるには、五・四から出発しなければいけない。そういう意味で僕は〔五・四が原点だと〕考えていた。〉(「天安門事件の後に」1989年6月)

第4巻には、日本学士院論文報告「福沢諭吉の〈脱亜論〉とその周辺」「福沢における〈惑溺〉という言葉」や、中国人留学生の質問に答えた「儒学・近代化・民主主義」「天安門事件の後に」、師の著作集の「解説」を書くために、ヒヤリングを行った「聞き書 南原繁『政治理論史』」、二本のスピーチ「私にとっての安東仁兵衛君」、追悼文4本など、全13編を収録する。全4巻完結。

目次

I
福沢諭吉の「脱亜論」とその周辺——日本学士院論文報告 1990年9月
福沢における「惑溺」という言葉——日本学士院論文報告 1984年4月
II
戦争観の変化と東アジアの近代化——伊豆山でのもうひとつの対話 1988年6月
「権力の偏重」をめぐって 1988年8月
儒学・近代化・民主主義——中国人留学生の質問に答える 第1回 1988年10月
天安門事件の後に——中国人留学生の質問に答える 第2回 1989年6月
秋陽会記——主権国家・世界秩序・21世紀の人権問題 1991年11月
III
聞き書 南原繁『政治理論史』——『南原繁著作集』第4巻「解説」のために 1973年4月
IV
私にとっての安東仁兵衛君 1977年4月/1978年12月
旧制最後の学生——追悼・中瀬信治 1979年6月
木村先生の思い出 1980年4月
弔文——追悼・副島種典 1991年5月
弔文——追悼・寺田熊雄 1997年4月
全4巻・人名索引

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