みすず書房

「こういう本はタイトルがむずかしい/その時々、目の届く範囲にある本を手にとって、読んでみて、おもしろければ書評を書く。本を読むことが好きな男が読んだ本の感想を述べているだけのことで、この男と似た趣味の方がいらしたら参考にしていただきたいというに尽きる。書評に権威はいらない」(あとがき)

世紀を跨ぐこの10年間はまことに激動の時代であった。あの9・11の悲惨な事件を無視してこの時代を語ることはできないだろう。いかなる文学や思想もこの惨事とまったく無関係ではありえない。古典はともかく、新刊書は洪水のごとく刊行されている。しかし、この暗い嵐の夜のような時代にあって、現実の問題点を照射し、解明への水先案内人たるような本はどこにあるのか? 著者は現在もっとも信頼に値する、視野の広い批評家=読み巧者の一人であり、これは時代の流れに真摯に向き合った読書人の10年間の貴重な記録である。丸谷才一・大江健三郎・梨木香歩などへのていねいな作品鑑賞からアイヌの復権・琵琶湖の漁師・沖縄のサトウキビ刈りといった話題まで、またチョムスキーやサイード、ル・クレジオへの刺戟的な接近、アウシュヴィッツやイラクへの鮮やかな視角など、本書はこの暗い時代を乗り越えるための絶好の手引きである。

目次

1999
軽いノリの中に隠されている重い核 …『ヴァインランド』トマス・ピンチョン
アメリカの原理が見えてくる小説 …『パラダイス』トニ・モリスン
「終末」に対抗する想像力とトポス …『宙返り』大江健三郎
知力の基本的な働きを思い出す快感 …『銀河の道 虹の架け橋』大林太良
魅力的な都市の楽しいエッセー …『アレクサンドリア』ダニエル・ロンドー

2000
30年後に実感する歴史的アイロニー …『ドキュメント沖縄返還交渉』三木健
両国の本音をあらわにする対話 …『我々はなぜ戦争をしたのか』東大作
20世紀という時代を描く重量級の小説 …『舞踏会へ向かう三人の農夫』リチャード・パワーズ
人間の知恵のとんでもない奥深さ …『アフリカの音の世界』塚田健一
奴隷制を生きた人々が継承し創造した …『聞書アフリカン・アメリカン文化の誕生』シドニー・ミンツ 藤本和子編訳
横暴な帝国と衛星国の行方は …『アメリカ帝国への報復』チャルマーズ・ジョンソン
ヨーロッパの受難をテーマに …『天使の記憶』ナンシー・ヒューストン
しなやかな権力奪取、?剌たる無血革命 …『ザ・ビートルズ・アンソロジー』ザ・ビートルズクラブ監修訳
社会の肖像を描く空虚の探険記 …『極北の迷宮』谷田博幸

2001
論戦で解く戦後日本精神史の最大課題 …『天皇の戦争責任』加藤典洋・橋爪大三郎・竹田青嗣
モルジブから琉球人が伝えた? …『鰹節』宮下章
場違いな者として生きること …『遠い場所の記憶 自伝』エドワード・W・サイード
スクープの後で欲しい情報 …『立花隆、「旧石器発掘ねつ造」事件を追う』立花隆ほか
現代世界の前史描くメタ探偵小説 …『わたしたちが孤児だったころ』カズオ・イシグロ
全集の完結をもって…… …『須賀敦子のミラノ』大竹昭子
人とはこんなにいとおしいものか …『スピティの谷へ』謝孝浩
戦後史の根源的な問いに答える本 …『敗北を抱きしめて』ジョン・ダワー
20世紀後半を描いた大きな戯画 …『ホワイト・ティース』ゼイディー・スミス
オイディプスの娘が語る家族の愛情 …『アンチゴネ』アンリ・ポーショー
明治元年、新政権に…… …『武揚伝』佐々木譲
この剛直な思想を論破できるか …『アイヌ近現代史読本』小笠原信之
日本に準備と覚悟はあるのだろうか …『人道的介入』最上敏樹
米国の醜い一面の具体的な肖像 …『9・11』ノーム・チョムスキー
民族や人権の概念が崩れていく …『イヴの七人の娘たち』ブライアン・サイクス

2002
時代の全体像を描く歴史小説の大作 …『香港の起源』ティモシー・モー
味覚に訴える古典的な知恵の漁 …『わたし琵琶湖の漁師です』戸田直弘
ユダヤ人虐殺を伝え読者を挑発する …『語り伝えよ、子どもたちに』ブルッフフェルド/レヴィーン/中村綾乃
ロマンチックで雄々しい衰退 …『偶然——帆船アザールの冒険』ル・クレジオ
世界の聖性を描いた作家の美しい墓碑 …『リチャード・ブローティガン』藤本和子
利子のないイスラムからの一撃 …『緑の資本論』中沢新一
誠実に生きた日本人の肖像に会う …『晴子情歌』高村薫
物質的な夢想家の国、アメリカ …『マーティン・ドレスラーの夢』スティーヴン・ミルハウザー
こうしてエコロジーは力を得た …『レイチェル』リンダ・レア
あなたは「アメリカ」を買いますか? …『アンダーワールド』ドン・デリーロ
この人・この3冊 日野啓三
「豊か」といわれる自然の本当の姿 …『極北の動物誌』ウィリアム・プルーイット
世界を本当に動かしているもの …『なぜ戦争は終わらないか』千田善

2003
語ることがなぜ解放なのだろう …『ヴァギナ・モノローグ』イヴ・エンスラー
イエスさま自身が訛っていたのだから …『ケセン語訳 新約聖書(1) マタイによる福音書』
過去だけが確かな沖縄の精神性 …『ゆらてぃく ゆりてぃく』崎山多美
おそろしく人間くさい放浪詩人 …『金笠詩選』佳碩義編訳
著者の全仕事を一本の小説に盛ったら …『輝く日の宮』丸谷才一
世界に対してシニカルではいけない …『暴力に逆らって書く』大江健三郎
写真は悲惨を伝えうるか 挑発的な問い …『他者の苦痛へのまなざし』スーザン・ソンタグ
永遠に終わらない大人の学芸会 …『沖縄おじぃおばぁの極楽音楽人生』中江裕司
切なすぎる記憶と現実のずれ …『ららら科學の子』矢作俊彦
アリ文明とヒト文明の劇的出会い …『蟻』『蟻の時代』『蟻の革命』ベルナール・ウェルベル
「手放しの喜び」が生む普遍性 …『春画』白倉敬彦・早川聞多編

2004
生きた現代のアフリカ人に出会う …『呪医の末裔』松田素二
現世と異界を往来する心地よさ …『家守綺譚』梨木香歩
所在なかった過去へのため息 …『ゴールデンアワー』四元康祐
自然と人間の関係取り戻す格闘 …『カイエ・ソバージュ』中沢新一
単純で好戦的な理想論を崩すには …『「正しい戦争」は本当にあるのか』藤原帰一
低俗から高尚までその霞の本性とは …『戦争とテレビ』ブルース・カミングス
彼らはなぜ150万人を殺したのか …『ポル・ポト〈革命〉史』山田寛
時代超える異文化の出会い・融合 …『百年佳約』村田嘉代子
作者と訳者の追求した愛国心への諷刺 …『トランス=アトランティック』ヴィトルド・ゴンブローヴィッチ
地方発30年の農業支援に学べ …『与那国島サトウキビ刈り援農隊』藤野雅之
自己隠しと演出の間で揺れた格闘の跡 …『ヴァレリーの肖像』清水徹

2005
悲劇の臨場感伝える肖像画の束 …『イタリア・ユダヤ人の風景』河島英昭
「個人的な体験」乗り越える文学の力 …『永遠の子ども』フィリップ・フォレスト
おぼろな古代が動き出す知的快感 …『日本の古代語を探る』西郷信綱
終わりなき旅が伝えた「変わる日本」 …『宮本常一写真・日記集成』
国際社会の力関係描く傑作自伝 …『ペルセポリス』M・サトラピ
調和求め迷路を辿る数学者の冒険 …『素数の音楽』マーカス・デュ・ソートイ
アイヌ復権にかけた豊饒な思い出 …『イヨマンテの花矢』萱野茂
日本人の精神に挑んだ政治と信仰の果て …『新リア王』高村薫

2006
メキシコ革命を生きた堀口大學 …『悲劇週間』矢作俊彦
巨大な罪を実現させた凡人の悪 …『人間の暗闇——ナチ絶滅収容所長との対話』ギッタ・セレニー
時代物の魅力と今風の楽しみを兼備 …『花はさくら木』辻原登
互酬に基づく社会変革への道 …『世界共和国へ——資本=ネーション=国家を超えて』柄谷行人
文学にとって他者とは何か …『占領の記憶/記憶の占領——戦後沖縄・日本とアメリカ』マイク・モラスキー
ゆったり楽しめる多様な素材の織物 …『風の影』カルロス・ルイス・サフォン
「革命」の原点から日本を問う …『思想としての〈共和国〉』レジス・ドゥブレほか
『制服捜査』佐々木譲
精妙にして論理的な自然のパノラマ …『祖先の物語』リチャード・ドーキンス
老人と「眠れる美女」の間に何が起きたか …『わが悲しき娼婦たちの思い出』ガブリエル・ガルシア=マルケス
自前の「原理」もつ思索者の512日 …『獄中記』佐藤優

2007
日本の生態系を回復させるために …『オオカミを放つ——森・動物・人のよい関係を求めて』丸山直樹・須田知樹・小金澤正昭編著
虚構の国際都市に浮かぶ美しい蜃気楼 …『アレクサンドリア四重奏1 ジュスティーヌ』ロレンス・ダレル
ジャンル超えた芸術家像、象徴的に …『ブラッサイ パリの越境者』今橋映子
この人・この3冊 カート・ヴォネガット
昭和の初め、濃密な生活があった …『ぼくの家には、むささびが棲んでいた——徳山村の記録』大牧冨士夫
決して読み終わることのない詩の言葉 …岩波文庫80年特集
大量消費に抗する暮らしの場の実践 …『「成長の限界」からカブ・ヒル村へ——ドネラ・H・メドウズと持続可能なコミュニティ』ドネラ・メドウズほか
「アイヌ語の翻訳」が意味するもの …『異郷の死——知里幸恵、そのまわり』西成彦・崎山政毅編
独立運動をめぐる矛盾と煩悶 …『ガラスの家』プラムディヤ・アナンタ・トゥール
精密な読みが紡ぎ出す楽しい推理 …『『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する』亀山郁夫

2008
女性原理の強さと救済めぐる奔放な小説 …『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』大江健三郎
現代詩へ導く見事な仕掛け …『詩の風景・詩人の肖像』白石かずこ
「書かないこと」をめぐる小説的エッセー …『バートルビーと仲間たち』エンリーケ・ビラ=マタス
互いにつながり、生きる都会の人々 …『かもめの日』黒川創
痛快にして爽快な「楽器の快楽」 …『チューバはうたう mit Tuba』瀬川深
超学際的な知的好奇心を集め連ねて …『鳥学大全』秋篠宮文仁 西野嘉章編
叙情的文体で描かれる「世界の終末」 …『ザ・ロード』コーマック・マッカーシー
飛び交う台詞から響く「人間の声」 …『海の沸点/沖縄ミルクプラントの最后/ピカドン・キジムナー』坂手洋二
「アリババの洞窟」には何があったか …『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』佐野眞一
世界の言語状況、明快に解き明かす …『日本語が亡びるとき——英語の世紀の中で』水村美苗
怨みという感情をつかさどるもの …『女神記』桐野夏生

今年の3冊 1998-2008

1998
『龍秘御天歌』村田喜代子
『ノルウェーの汀の物語』ハルビヨルグ・ヴァッスムー
『〈日本人〉の境界』小熊英二

1999
『パラダイス』トニ・モリスン
『魂込め(まぶいぐみ)』目取真俊
『宇宙の果てまで』小平桂一

2000
『日本人の魂の原郷——沖縄久高島』比嘉康雄
『朗読者』ベルンハルト・シュリンク
『天使の記憶』ナンシー・ヒューストン

2001
『敗北を抱きしめて』ジョン・ダワー
『水俣病の科学』西村肇、岡本達明
『唐シルクロード十話』スーザン・ウィットフィールド

2002
『晴子情歌』高村薫
『セーヌは左右を分かち、漢口は南北を隔てる』洪世和
『人類最古の哲学』中沢新一

2003
『そこから青い闇がささやき』山崎佳代子
『クルディスタンを訪ねて』松浦範子
『ケセン語訳 新約聖書(1) マタイによる福音書』山浦玄嗣訳

2004
『ジャスミン』辻原登
『ラディカル・オーラル・ヒストリー——オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』保苅実
『地図に仕える者たち』アンドレア・バレット

2005
『日本領サイパン島の一万日』野村進
『素数の音楽』マーカス・デュ・ソートイ
『生きる意味「システム」「責任」「生命」への批判』I・イリイチ、D・ケイリー編

2006
『新リア王』高村薫
『ロリータ』ナボコフ
『クマムシ!? 小さな怪物』鈴木忠

2007
『信頼』アルフォンソ・リンギス
『ガラスの家』プラムディヤ・アナンタ・トゥール
『『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する』亀山郁夫

2008
『詩の風景・詩人の肖像』白石和子
『かもめの日』黒川創
『責任という虚構』小坂井敏晶


あとがき
書名・作品名索引

書評情報

松坂健
ハヤカワ・ミステリ・マガジン2010年8月号

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