みすず書房

沖縄問題とは何か。それは「沖縄の」問題なのだろうか。「沖縄問題」という認識の枠組みは、沖縄を聞くことの拒絶ではないのか。
沖縄問題の自明性を再審することから、沖縄という問いが始まる。沖縄とは、終わりのない問いなのだ。
大江健三郎『沖縄ノート』の「このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか」という問い、目取真俊『希望』の「最低の方法だけが有効なのだ」という対抗暴力への呟き、沖縄サミットにあわせ宣言された『沖縄イニシアティブ』。これらの言葉を導きの糸に、呼び出されると同時に抹消される沖縄という位置、自己決定権を奪われた「沖縄の男」の政治的主体化への欲望、男たちに図らずも還ってくる性の眼差しなど、植民地主義の暴力と、その基層で発動するセクシュアリティの力学が鋭く開示されていく。
国家は、国民は、軍事同盟は、沖縄という問いの前に再審されなければならない。沖縄という問いが感受されていくために、限りない受動性に基礎づけられた、私たち自身の「無惨なまでの開かれ」が求められているのである。
問いは、すでに届いている。沖縄という戦後体制の亀裂から湧きあがる声を鮮やかに響かせ、「聞く」という営みを通して新たな共同性の地平を切り開く、根源的沖縄論。

目次

第1章 受信される沖縄  ソクーロフ『太陽』 
第2章 沖縄の政治的主体化と対抗暴力  『沖縄イニシアティブ』と『希望』 
第3章 植民地の男性セクシュアリティ  豊川善一『サーチライト』
第4章 米軍沖縄占領とクィア・ポリティクス  『八月十五夜の茶屋』
第5章 大東亜という倒錯  大城立裕『朝、上海に立ちつくす』
第6章 母を身籠もる息子  目取真俊『魂込め』
第7章 沖縄を聞く  大江健三郎『沖縄ノート』

あとがき 到来する呼びかけ

書評情報

信濃毎日新聞
2011年1月9日(日)

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