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新城郁夫『沖縄を聞く』
『沖縄を聞く』の見本がついに出来上がり、さっそく沖縄の著者のもとへとお送りしました。ところが3日たち、4日たっても本は届きません。これはおかしい……宅急便のホームページをあたり、遅延の理由がわかりました。それは、「沖縄・日米共同軍事演習のため」。
思わぬ理由に衝撃をうけました。過去最大規模の日米共同演習のため、沖縄行きのあらゆる貨物が滞っていたのです。航空会社が上空待機に備えて燃料を積み増しした分、貨物量を減らさざるを得なかったと知りました。日米軍事同盟がこんなに直接的に生活に影響を及ぼすとは、ひどい話です。
日常生活の隅々に軍事的なるものが浸透する沖縄。在日米軍基地の約75パーセントが集中し、軍による暴力が後を絶たないことを知らない人はいないでしょう。そこで生きるとはどのようなことなのか。どうすればいいのか。本書は「沖縄問題」という枠組みに疑問を呈します。
〈沖縄問題などという問題は、これまで存在したこともないしこれから存在することもない。〉
基地問題と振興策のセットを「沖縄問題」と呼ぶことは、それが「沖縄の」問題だと言うに等しいのではないか。「沖縄問題」とは沖縄を聞くことを拒絶し、沖縄の声を封印する、危機管理的な認識の枠組みではないだろうか。本書はそう問いかけます。
「沖縄問題」を自明化する思考の枠組みを外したのちに現れるのは、多元的な問いかけです。
〈沖縄はそれを聞く者の身体のなかに現れる終わりのない問いなのであり、この問いは、それを聞きとる者を内から規定しているあらゆる政治的、社会的、性的な制度の矛盾と亀裂を浮かびあがらせないではおかない。〉
「どのようにして自分の内部の沖縄ノートに、完結の手立てがあろう?」と若き大江健三郎は呟きました。本書で論じられる大江健三郎、目取真俊らの思索との響き合いの中に、沖縄という問いが出現してきます。いや、沖縄という問いは、すでに私たちのもとに届いているのです。戦後体制の亀裂から湧きあがる声をどう聞くか。沖縄という問いかけへの招待を受け取っていただけたら幸いです。
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