みすず書房

20世紀を語る音楽 1

THE REST IS NOISE

判型 A5判 タテ210mm×ヨコ148mm
頁数 368頁
定価 4,400円 (本体:4,000円)
ISBN 978-4-622-07572-1
Cコード C1073
発行日 2010年11月24日
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20世紀を語る音楽 1

本書が扱うのは20世紀クラシック音楽だが、その作曲家はじつに多彩だ——マーラー、シェーンベルク、ストラヴィンスキー、ドビュッシー、シベリウス、ショスタコーヴィチ、コープランド、ブリテン、リゲティ、ブーレーズ、ケージ、メシアン、シュトックハウゼン、グラス、ライヒ、アダムズ等々。彼らについては伝記では縦割り、専門書では横割り、演奏批評では折々に言及され、その多くは演奏会プログラムの主流にある。しかし、点在する断片としての彼らを結ぶ無数の伏線をたぐりよせ、ひとつの壮大な文化史が描けると考えた本は、本書の前にはなかった。魅力的な群像、目から鱗のエピソード、楽曲分析、文化批評を駆使して圧巻の音楽史を描いて見せる本書は、その試みに見事に成功している。欧米各国で絶賛。全米批評家協会賞ほか受賞の注目の音楽批評家による記念碑的デビュー作。全2巻。
1巻はリヒャルト・シュトラウスの《サロメ》オーストリア公演をめぐって劇的に幕を開け、本書の主題を提示。調性崩壊の始まりと初期の前衛、ヴァイマール期の「実用音楽」、スターリンによる音楽の政治化を経て、ニューディール期アメリカにおける「万人のための音楽」までを語る。

目次

はしがき

第1部 1900‐1933年
1 黄金時代——シュトラウス、マーラー、そして世紀末
2 ファウスト博士——シェーンベルク、ドビュッシー、そして無調
3 大地の踊り——《祭典》、民衆、ル・ジャズ
4 見えない人間——アイヴズからエリントンまでのアメリカの作曲家たち
5 森から現れる霊——ジャン・シベリウスの孤独
6 網を張る町——20年代のベルリン

第2部 1933‐1945年
7 恐怖の芸術——スターリン時代のロシアの音楽
8 万人のための音楽——F・ルーズヴェルト時代のアメリカの音楽

原註

ミュージックペンクラブ音楽賞受賞

本書(全2巻)は2010年度・第23回ミュージックペンクラブ音楽賞クラシック部門(著作出版物)を受賞しました。選評に、「……2度の世界大戦とその後の冷戦という人類史に例を見ない時代に、作曲家たちは何を音に刻み音楽文化の担い手たらんとしたか、これほど大胆に切り込んだ作曲家論はない。……」(宮澤昭男)

細川周平 書評エッセイ「20世紀が語る音楽」

この浩瀚な書は1906年、リヒャルト・シュトラウスのオペラ『サロメ』のグラーツ上演にシェーンベルク、ベルク、マーラー、それにひょっとするとヒトラーが集まったことから筆を起こす。劇場にはシェーンベルクをモデルとする、トーマス・マン『ファウスト博士』の主人公レーヴァーキューンも臨席していた。実在と虚構の作曲家の大いなる宴、そこには保守派と革新派、高踏派と大衆派、国際派と民族派の間の不協和音はまだ聞こえない。「過去と未来が衝突し、数世紀が一夜にして過ぎ去った」。数年後、シェーンベルクは「難解な」音楽、大衆にとっては「雑音」にすぎない表現に向かう引き返せない一歩を踏み出した。ハムレットの「後は沈黙」をもじった原題「後は雑音」は、雑音と楽音と沈黙の交錯から20世紀音楽史を描く本書の基本デザインを、含蓄深く伝えている。

劇的な書き出しからふと、リチャード・パワーズの『舞踏会へ向かう三人の農夫』を思い出した。第一次世界大戦勃発前夜に撮影された農夫の写真から、政治家、芸術家、企業家、革命家が入り乱れる20世紀の歴史全体を展開する(現像する)パワーズフルな手法は、膨大な数のこぼれ話を、歴史的な文脈にジグソーパズルのようにはめこんでいく本書の眩惑的な書法にヒントを与えたのではないだろうか。年代順でも国別でも芸術思潮別でも技法の進化論でもない。一応、1933年、1945年で分かれる三部構成を採っているが、つねに他の時代と各地の出来事が参照され、思いがけぬ音や人や思想のつながりを教えてくれる。パワーズ同様、どこに伏線が潜んでいるかわからない。ヴァイルとボブ・ディラン、ブーレーズとコープランド、ブリテンとペンデレツキ、シュトックハウゼンとビートルズが実際に、あるいは美学的に出会う。シベリウスのロマン主義をコルトレーン、アルヴォ・ペルト、モートン・フェルドマン、ジョン・アダムズが変奏=変装していく。

20世紀音楽地図の多くはこれまで前衛、新語法の峰々を踏破するような経路を記してきた。これは芸術の純粋性を信念とし、政治や大衆受けを拒絶するレーヴァーキューンの美学にどっぷり浸かった歴史観だ。この見方によれば、『サロメ』は前世紀の残滓にすぎない。しかしアレックス・ロスは前衛中心史観を退け、保守のなかに実験性を、革新のなかに民族性や伝統を聴き取る。たとえばショスタコヴィチに十二音技法の応用を、『春の祭典』にロシアの農民舞踊のリズムを見出す。ブーレーズ、ノーノ、シュトックハウゼンら戦後前衛のチャンピオンに対しては辛らつな反面、ヤナーチェク、リゲティ、バルトークら「小国」の作曲家に対しては好意的だ。これまで私が奉じてきた前衛中心のアメリカ音楽史観ではひとしなみに「アカデミック」と一括されてきた作曲家の位置関係をやっと掴むことができた。黒人作曲家マリオン・クックが20世紀音楽史という大枠に登場したのは、たぶん初めてだろう。

ゲイのユダヤ系アメリカ人という著者の生き方が、性的志向やジェンダー、民族や人種、ナショナリズム、政治についての強い関心に反映している。ブリテンの『ピーター・グライムズ』のゲイ的読解、シベリウスが負い切れなかった国民作曲家の責務、シェーンベルクとバーンステインのユダヤ民族主義、ジャズと原始主義、マッカーシズムと左翼系作曲家、CIAのスパイとストラヴィンスキー、ミニマリズムとロックなど刺激的なトピックが次々論じられる。ナチス・ドイツとニューディール下アメリカの音楽を同時進行劇として描くのも意表をつくし、冷戦イデオロギーが鉄のカーテンの向こう側の国家主義的交響曲にも、こちら側の前衛にも均しく影を落としていたというのは、新しい知識だった。顕微鏡(楽曲分析)と望遠鏡(文化批評)を柔軟に使い分け、ゴシップを散らし、読者を飽きさせない(引用箇所をサイトで試聴できる)。良くも悪くも「アメリカ的な」音楽批評の到達点を示している。

ところでビョ−クやU2が実験的手法を万人向けに応用する時代に、現代作曲家は骨董品なのだろうか。21世紀には、シベリウス、ブリテン、ストラヴィンスキーのように、国葬で送られたり女王から弔辞が届いたり、社交界の名士になるような大作曲家のための場所はもうないかもしれない。しかし「中心から外れた文化のなかで、作曲は一種の後見人的な役割を果たす機会を得ている」。ポップスターと違って、社会的な注目の真っ只中にはいないが、「孤独という自由を得て、独自の強度を持つ経験を伝える」使命を作曲家が失ったわけではない。大著の最後に引用されるのは、ジョン・アダムズの『ドクター・アトミック』だ。このオッペンハイマー博士についてのオペラは、賛否両論はあっても、社会・歴史への関心を今日の作曲家が表現し得ることを証明している。作曲の長い凋落の果てに小さい灯を灯して、本書は閉じられる。 

「20世紀を聴く」という原書副題を「20世紀を語る」と意訳し、音楽をその意味上の主語にもってきた。「20世紀《が》語る音楽」ともう一ひねりしてもよかったかもしれない。美学も質も評価も異なる数百人の作曲家群像、彼(女)らを聴いた無数の証言者が、ざわざわと音楽について語っているからだ。

(ほそかわ・しゅうへい 音楽学 国際日本文化研究センター教授)
Copyright Shuhei Hosokawa 2010

(このエッセイは、タブロイド版出版情報紙『出版ダイジェスト』みすず書房特集版No. 61、2010年12月11日号一面に掲載されました)
社団法人 出版梓会 出版ダイジェスト.net http://www.digest-pub.net/

書評情報

Tower Records Intoxicate
2010年12月20日号Vol .89
音楽の友
2010年冬号
片山杜秀(音楽評論家)
読売新聞2010年12月19日(日)
奥泉光(作家)
朝日新聞2010年12月12日(日)
奥泉光(作家)
朝日新聞2010年12月19日(日)
白石美雪
レコード芸術2011年2月号
南聡(作曲家、道教育大教授)
北海道新聞2011年1月16日(日)
岡田暁生(京都大学准教授)
日経新聞2011年1月23日(日)
長木誠司(東京大学教授)
図書新聞2011年3月5日(土)
宮沢昭男(音楽評論家)
しんぶん赤旗2011年2月20日(日)
鈴木幸一(インターネットイニシアティブ社長)
プレジデント2011年4月18日号

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