みすず書房

20世紀を語る音楽 2

THE REST IS NOISE

判型 A5判
頁数 336頁
定価 4,180円 (本体:3,800円)
ISBN 978-4-622-07573-8
Cコード C1073
発行日 2010年11月24日
備考 現在品切
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20世紀を語る音楽 2

2巻の記述はナチ・ドイツ時代の音楽から始まる——権力者としてのヒトラーの音楽への態度は、スターリンと奇妙な好対照をなしていた。冷戦は政治的に正しい音楽の勃興という影を落とし、前衛は作曲家にとってほとんど義務となったが、その背後には諜報機関の存在があった——。ジェンダーやセクシュアリティなど近年の音楽学の成果も導入し、記述は分野横断的になっていく。
「著者はポピュラーなジャンルにも精通しており、幅広いジャンルを軽々と渡り歩いて議論を進めていく。たとえばショスタコーヴィチの第五交響曲の緩徐楽章に出てくるメロディとミュージカル《ショウ・ボート》のコーラスに同じ音程関係が現れ、シベリウスの第五の冒頭とコルトレーンの《至上の愛》の音型が同じだと指摘する。こうした議論ができる人はこれまでいなかった」(訳者あとがきより)
現代音楽と聴衆の乖離は、寒々しい前衛が招来した必然だった。しかし本書は新たな好奇心に火をつけ、音楽の聴き方に、これまでにない地平を拓く。巻末に、著者による詳細な「音源・読書案内」を付す。

目次

第2部 1933‐1945年(承前)
9 死のフーガ——ヒトラー時代のドイツ音楽

第3部 1945‐2000年
10 零時——合衆国軍とドイツの音楽、1945‐1949年
11 すばらしい新世界——冷戦と50年代の前衛
12 「グライムズ! グライムズ!」——ベンジャミン・ブリテンの情熱
13 ザイオン公園——メシアン、リゲティ、60年代の前衛
14 ベートーヴェンは間違っていた——バップ、ロックそしてミニマリストたち
15 沈める寺——世紀の終わりの音楽

エピローグ
謝辞

原註
音源・読書案内
訳者あとがき
索引

ミュージックペンクラブ音楽賞受賞

本書(全2巻)は2010年度・第23回ミュージックペンクラブ音楽賞クラシック部門(著作出版物)を受賞しました。

細川周平 書評エッセイ「20世紀が語る音楽」

この浩瀚な書は1906年、リヒャルト・シュトラウスのオペラ『サロメ』のグラーツ上演にシェーンベルク、ベルク、マーラー、それにひょっとするとヒトラーが集まったことから筆を起こす。劇場にはシェーンベルクをモデルとする、トーマス・マン『ファウスト博士』の主人公レーヴァーキューンも臨席していた。実在と虚構の作曲家の大いなる宴、そこには保守派と革新派、高踏派と大衆派、国際派と民族派の間の不協和音はまだ聞こえない。「過去と未来が衝突し、数世紀が一夜にして過ぎ去った」。数年後、シェーンベルクは「難解な」音楽、大衆にとっては「雑音」にすぎない表現に向かう引き返せない一歩を踏み出した。ハムレットの「後は沈黙」をもじった原題「後は雑音」は、雑音と楽音と沈黙の交錯から20世紀音楽史を描く本書の基本デザインを、含蓄深く伝えている。

劇的な書き出しからふと、リチャード・パワーズの『舞踏会へ向かう三人の農夫』を思い出した。第一次世界大戦勃発前夜に撮影された農夫の写真から、政治家、芸術家、企業家、革命家が入り乱れる20世紀の歴史全体を展開する(現像する)パワーズフルな手法は、膨大な数のこぼれ話を、歴史的な文脈にジグソーパズルのようにはめこんでいく本書の眩惑的な書法にヒントを与えたのではないだろうか。年代順でも国別でも芸術思潮別でも技法の進化論でもない。一応、1933年、1945年で分かれる三部構成を採っているが、つねに他の時代と各地の出来事が参照され、思いがけぬ音や人や思想のつながりを教えてくれる。パワーズ同様、どこに伏線が潜んでいるかわからない。ヴァイルとボブ・ディラン、ブーレーズとコープランド、ブリテンとペンデレツキ、シュトックハウゼンとビートルズが実際に、あるいは美学的に出会う。シベリウスのロマン主義をコルトレーン、アルヴォ・ペルト、モートン・フェルドマン、ジョン・アダムズが変奏=変装していく。

20世紀音楽地図の多くはこれまで前衛、新語法の峰々を踏破するような経路を記してきた。これは芸術の純粋性を信念とし、政治や大衆受けを拒絶するレーヴァーキューンの美学にどっぷり浸かった歴史観だ。この見方によれば、『サロメ』は前世紀の残滓にすぎない。しかしアレックス・ロスは前衛中心史観を退け、保守のなかに実験性を、革新のなかに民族性や伝統を聴き取る。たとえばショスタコヴィチに十二音技法の応用を、『春の祭典』にロシアの農民舞踊のリズムを見出す。ブーレーズ、ノーノ、シュトックハウゼンら戦後前衛のチャンピオンに対しては辛らつな反面、ヤナーチェク、リゲティ、バルトークら「小国」の作曲家に対しては好意的だ。これまで私が奉じてきた前衛中心のアメリカ音楽史観ではひとしなみに「アカデミック」と一括されてきた作曲家の位置関係をやっと掴むことができた。黒人作曲家マリオン・クックが20世紀音楽史という大枠に登場したのは、たぶん初めてだろう。

ゲイのユダヤ系アメリカ人という著者の生き方が、性的志向やジェンダー、民族や人種、ナショナリズム、政治についての強い関心に反映している。ブリテンの『ピーター・グライムズ』のゲイ的読解、シベリウスが負い切れなかった国民作曲家の責務、シェーンベルクとバーンステインのユダヤ民族主義、ジャズと原始主義、マッカーシズムと左翼系作曲家、CIAのスパイとストラヴィンスキー、ミニマリズムとロックなど刺激的なトピックが次々論じられる。ナチス・ドイツとニューディール下アメリカの音楽を同時進行劇として描くのも意表をつくし、冷戦イデオロギーが鉄のカーテンの向こう側の国家主義的交響曲にも、こちら側の前衛にも均しく影を落としていたというのは、新しい知識だった。顕微鏡(楽曲分析)と望遠鏡(文化批評)を柔軟に使い分け、ゴシップを散らし、読者を飽きさせない(引用箇所をサイトで試聴できる)。良くも悪くも「アメリカ的な」音楽批評の到達点を示している。

ところでビョ−クやU2が実験的手法を万人向けに応用する時代に、現代作曲家は骨董品なのだろうか。21世紀には、シベリウス、ブリテン、ストラヴィンスキーのように、国葬で送られたり女王から弔辞が届いたり、社交界の名士になるような大作曲家のための場所はもうないかもしれない。しかし「中心から外れた文化のなかで、作曲は一種の後見人的な役割を果たす機会を得ている」。ポップスターと違って、社会的な注目の真っ只中にはいないが、「孤独という自由を得て、独自の強度を持つ経験を伝える」使命を作曲家が失ったわけではない。大著の最後に引用されるのは、ジョン・アダムズの『ドクター・アトミック』だ。このオッペンハイマー博士についてのオペラは、賛否両論はあっても、社会・歴史への関心を今日の作曲家が表現し得ることを証明している。作曲の長い凋落の果てに小さい灯を灯して、本書は閉じられる。 

「20世紀を聴く」という原書副題を「20世紀を語る」と意訳し、音楽をその意味上の主語にもってきた。「20世紀《が》語る音楽」ともう一ひねりしてもよかったかもしれない。美学も質も評価も異なる数百人の作曲家群像、彼(女)らを聴いた無数の証言者が、ざわざわと音楽について語っているからだ。

(ほそかわ・しゅうへい 音楽学 国際日本文化研究センター教授)
Copyright Shuhei Hosokawa 2010

(このエッセイは、タブロイド版出版情報紙『出版ダイジェスト』みすず書房特集版No. 61、2010年12月11日号一面に掲載されました)
社団法人 出版梓会 出版ダイジェスト.net http://www.digest-pub.net/

書評情報

Tower Records Intoxicate
2010年12月20日号Vol .89
音楽の友
2010年冬号
片山杜秀(音楽評論家)
読売新聞2010年12月19日(日)
奥泉光(作家)
朝日新聞2010年12月12日(日)
奥泉光(作家)
朝日新聞2010年12月19日(日)
岡田暁生(京都大学准教授)
日本経済新聞2011年1月23日(日)
南聡(作曲家、道教育大教授)
北海道新聞2011年1月16日(日)
白石美雪
レコード芸術2011年2月号
長木誠司(東京大学教授)
図書新聞2011年3月5日(土)
宮沢昭男(音楽評論家)
しんぶん赤旗2011年2月20日(日)
鈴木幸一(インターネットイニシアティブ社長)
プレジデント2011年4月18日号

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