フェミニズムの政治学
ケアの倫理をグローバル社会へ
判型 | 四六判 |
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頁数 | 448頁 |
定価 | 4,620円 (本体:4,200円) |
ISBN | 978-4-622-07639-1 |
Cコード | C1010 |
発行日 | 2012年1月16日 |
判型 | 四六判 |
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頁数 | 448頁 |
定価 | 4,620円 (本体:4,200円) |
ISBN | 978-4-622-07639-1 |
Cコード | C1010 |
発行日 | 2012年1月16日 |
近代国家は「自律した個」を理想像とし、子育てや介護などケアする者を政治的に二流の存在とみなしてきた。男を公的領域、女を私的領域に振り分けるその力学を、フェミニズムは公私二元論として鋭く批判してきた。そして、公的領域で“男並み”になることがゴールではないことも指摘した。フェミニズムはその先どこへいくのか。
本書は母・家族・ケアという概念と格闘してきたフェミニズム理論の立場から、プラトンからロールズまで政治思想を貫く公私二元論を徹底的に検討する。そこで明らかになるのは、自律的主体が隠蔽するもの、すなわち、ひとは傷つき依存して生きるという事実だ。依存する存在は自律的主体の下位概念ではない。それこそが「人間の条件」であり、政治学の基礎単位なのだ。
「ヴァルネラブルな存在が世界の代表である」(H・アーレント)。国家暴力に傷つけられながら抵抗し、ケアにおいて他者との非暴力的な関係を実践してきた女の経験こそが、新たな政治の領野を切り拓く。女であることの絶えざる葛藤を理論に鍛え上げ、非暴力の社会を構想する、フェミニズム理論の到達点。
はじめに
第一部 リベラリズムと依存の抑圧
序論 フェミニズム理論と政治思想
第一章 包摂と排除の論理
シティズンシップ論からの出発/第一節 暴力による包摂/第二節 現代シティズンシップ論における新たな包摂/第三節 市民の責任論がもつ包摂性/第四節 リベラルな責任論の応答不可能性/第五節 依存を排除する包摂の原理
第二章 自由論と忘却の政治
私的領域における自由と公的領域における責任/第一節 自由への問い/第二節 自由意思と忘却の作用——バーリン、テイラー、フラスマン/第三節 フェミニズムによる自由論批判/第四節 自由意思と主権国家の結託
第三章 リベラリズムとフェミニズム
リベラル・フェミニズムは存在するのか?/第一節 公私二元論と忘却の政治——ペイトマンとブラウン/第二節 リベラリズムとフェミニズム/第三節 リベラリズムの「批判力」/第四節 リベラルな自己と社会の構想/第五節 反転するリベラリズム/第六節 主体への異議申し立て
小括 忘却された主体の来歴
第二部 ケアの倫理の社会的可能性
序論 なぜ、家族なのか
第一章 ケアの倫理からの出発
家族の両義性/第一節 相互依存と家族/第二節 ケアの端緒としての他者の存在/第三節 ケアという実践/第四節 ケアの倫理への異論/第五節 公私二元論批判による反論/第六節 ケアの倫理から社会的責任論へ
第二章 私的領域の主権化/母の自然化
ケアの倫理の私化/第一節 愛と正義からなる社会/第二節 「母」と「自然」の置換/第三節 転倒した愛の物語/第四節 母性愛から母的な思考へ
第三章 ケア・家族の脱私化と社会的可能性
愛の実践から社会の構想へ/第一節 愛の場としてのホーム/第二節 家族のことば/第三節 家族からの出発
小括 家族の脱私化から脱国家化へ
第三部 フェミニズムと脱主権国家論
序論 主権国家・近代的主体・近代家族制度の三位一体をほどく
第一章 フェミニズムが構想する平和
政治思想と暴力性の消去/第一節 女性と平和/第二節 反・本質的なケア論へ/第三節 近代的主権国家の誕生と近代的主体の誕生/第四節 母的思考から平和の構想へ
第二章 安全保障体制を越えて
人間の安全保障?/第一節 エコノミーの暴力/第二節 暴力のエコノミー/第三節 安全保障からケアへ/第四節 遅れる正義/修復的正義
第三章 ケアから人権へ
ケアは国境を越える/第一節 人権をめぐる三つのアポリア/第二節 ポジティヴな人権論としての承認の政治/第三節 ケアの倫理から証言の政治へ
終章 新しい共同性に向けて
荒野のなかのフェミニズム/反暴力で闘う
註
書誌
あとがき