みすず書房

〈解離という病理現象を考察していくうちに、解離と同じメカニズムの存在を仮定することで、現代に見られる多くの青年期の精神疾患が理解しやすくなるように思われた。広汎性発達障害や新型うつ病がそうである。現代の精神病理が解離と深い関係があり、解離が外傷に対する自己防衛機能をもつことを考えれば、現代の若者に共通するテーマは「傷つきやすさ」ということになるのではないだろうか。傷つかないように自分のルールにしがみつくのが発達障害であり、傷つく恐れのある環境においてのみ抑うつ気分が生じるのが新型うつ病であり、傷つき体験を現在の体験と切り離すのが解離性障害である。家族や共同体の弱力化、世界的な経済不安、情報化社会における価値観の多重化と浮動性などなどが、現代の若者の傷つきやすさの背景にあるのだろう。現代という時代は、今しばらく、解離から解放されることはなさそうである〉

境界例、摂食障害、解離性障害… 臨床の場で、周囲への不満を口ごもりながら、目下の気分を明るくする薬のみを要求する若者を中心とした患者と日々接しながら、著者は人間に不可欠な「生命性」や「ハイマート」概念を鍵語に、現況を読もうとする。境界例では生命性を暴発させ、摂食障害では生命性の支配を望み、解離性障害では生命性を切り離すのではないか。ではそこから、何が見えてくるか。そして精神科医は、どう対応すべきだろうか。
メルロ=ポンティはじめ哲学の成果を援用しながら、自傷行為や臓器移植精神医学を含め、具体例と根源的考察を往還して成った、観察と省察の書である。

目次

はじめに

第 I 部 解離の諸相
第一章  存在の解離——生命性をめぐる病理
1 幻惑する病  2 ヒステリー/解離の歴史  3 解離をいかに理解するか  4 記述的症候としての解離  5 心理機制としての解離  6 疾患としての解離  7 存在のあり方としての解離  8 解離と現代 
第二章  瞬間の自己性——トラウマ学再論
1 フラッシュバックという瞬間  2 重なりあうトラウマ  3 断片的過去と現在としての身体  4 解離における自己  5 瞬間の生命性  6 ハイマート  7 傷つきと現代
第三章  否定の身体——現代精神医学におけるメルロ=ポンティ
1 精神医学の苦悶  2 意味の意識/生きられる意識  3 間身体性と視線  4 存在論的精神分析  5 自己存在とキアスム  6 精神医学と否定性
第四章 飛翔と浮遊のはざまで——現代という解離空間を生きる
1 空間性と身体  2 飛翔  3 浮遊  4 平原のテスト  5 解離の時間=空間論  6 二重の「コントラ」  7 解離と現代  
第五章 流れない時間、触れえない自分


第 II 部 生命の所在 
第六章 交感する身体——拒食と境界例の自己と他者
1 文化と身体加工  2 隠れ蓑としてのやせ  3 鏡像と自己疎外  4 境界の病理  5 身体的自己移入  6 〈同一性〉と〈自己性〉  7 偶然性と主体的自己  8 身体という世界
第七章 愛のキアスム——食の病と依存
1 「食べる」ということは私たちにとってなんなのだろうか  2 食の病をめぐって、さまざまな心理学的仮説が打ち立てられたが  3 悪魔の実験は、食べること食べないことの謎を暴く  4 食の病の自己は、世界のなかで安らぎを手に入れることができるか  5 「死の欲動」という道は、究極の生に通じている  6 孤独とは、愛に手を伸ばさぬことの謂いである  7 キアスムとしての食は、生きる意味に立ち会わせてくれているかもしれない
第八章 二重の生命——摂食障害者が往々にして境界例的であるのはなぜだろうか
第九章 空虚という存在——自傷の可視性をめぐって
1 傷つける若者たち  2 自傷の現在  3 嗜癖と解離  4 自傷の可視性  5 声なき苦痛
第十章 置き換えられる身体/置き換えられる生——生体肝移植という経験
1 挑戦  2 朦朧  3 侵入  4 双生  5 挺身  6 委託  7 転生
第十一章 語りえなさを語るということ——統合失調症を生きる
1 〜っぽさ  2 背後にあるもの  3 統合失調症の解離  4 直観診断  5 非‐論理  6 語りえなさを語るということ
終章 精神病理学は、絶滅寸前か
1 精神病理学の現在  2 精神病理学とは  3 難解な本質主義  4 精神病理学の難解さ  5 本質主義という陥穽  6 人間理解という学問的姿勢  7 精神医学界にとっての精神病理学

おわりに
初出一覧

書評情報

京都新聞
2012年11月11日
阿部恵一郎(精神科医)
北海道新聞2012年12月9日(日)
可能涼介(批評家・精神保健福祉士)
週刊読書人2012年11月30日
岡野憲一郎(国際医療福祉大学大学院)
精神医療2013年4月号

関連リンク