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野間俊一『解離する生命』
著者は「はじめに」で、本書の第I部には現代における解離に関する論考を集めたこと、その意味と要点をまとめたのち、こう述べる。「第II部では、解離以外のさまざまな精神疾患に関する論文を収録している。ここで扱われているのは、摂食障害、境界例、自傷、統合失調症といった、とくに青年期に多くみられる精神疾患や精神症状である。さらに、これまであまり精神医学では論じられてこなかった、生体臓器移植患者の心理に関する論文もここに加えた。やはりどの論考においても、生命性が大きなテーマになっている。それは、思春期青年期の若者の心理には、身体的変化に由来する生命的衝動が重要な役割を果たしており、移植患者では生きるために臓器の授受という心身の根本的な変容を被っているためである」。
本書全体をみるとき、他の章と同等の重みと意味をもつ一章であり、そこだけ取り上げるのはよろしくないかもしれないが、ここではふだん聞きなれない「臓器移植精神医学」を論じた第10章「置き換えられる身体/置き換えられる生」について大枠を紹介したい。
生体肝移植は当初、親から幼児への臓器提供が中心だったが、1990年代半ば以降、移植技術の進歩によって成人から成人への臓器提供が可能になり、子から親へ、あるいは同胞間での移植件数が増えるなかで、親子間では見られなかったさまざまな心理的葛藤が生じてきた。ドナーが自発的意思から臓器提供をしているかどうかという心理的問題にはじまり、健康なドナーの体にメスを入れて臓器を取り出し他人に提供すること、逆に他人の臓器を自分の体内に受け入れるレシピエントのあり方から、どのような事態が生じうるのか。そこには、「贈与」にまつわる善行と感謝という表の論理とは違う、心的外傷を伴ったさまざまな精神症状が生まれてくる。第10章には、これにかかわる11に及ぶ症例と分析に紙面が割かれている。
医療技術の進歩が新たな疾患を生む。これはむろん臓器移植に限ったことではない。ただ、臓器移植は、いままでの手術とちがい、ドナー、レシピエントだけでなく、執刀する医師自身にも、未知の心理的負荷がかかっているのではないか。日々の具体的な臨床現場の実態と人間という存在の根源的なあり方を往還して成った本書から、思いをはせたしだいである。
『解離する生命』 目次抄
- はじめに
- 第 I 部 解離の諸相
- 第1章 存在の解離――生命性をめぐる病理
第2章 瞬間の自己性――トラウマ学再論
第3章 否定の身体――現代精神医学におけるメルロ=ポンティ
第4章 飛翔と浮遊のはざまで――現代という解離空間を生きる
第5章 流れない時間、触れえない自分 - 第 II 部 生命の所在
- 第6章 交感する身体――拒食と境界例の自己と他者
第7章 愛のキアスム――食の病と依存
第8章 二重の生命――拒食障害者が往々にして境界例的であるのはなぜだろうか
第9章 空虚という存在――自傷の可視性をめぐって
第10章 置き換えられる身体/置き換えられる生――生体肝移植という経験
第11章 語りえなさを語るということ――統合失調症を生きる
終章 精神病理学は、絶滅寸前か - おわりに
- ガミー『現代精神医学のゆくえ――バイオサイコソーシャル折衷主義からの脱却』山岸・和田・村井訳はこちら
- ブランケンブルク『目立たぬものの精神病理』木村・生田監訳はこちら
- 笠原嘉臨床論集『境界例研究の50年』はこちら
- 岡野憲一郎『心理療法/カウンセリング 30の心得』はこちら
- ジャネ『症例 マドレーヌ』松本雅彦訳はこちら
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- パトナム『解離』中井久夫訳はこちら
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