みすず書房

ボスニア紛争報道を詳細に分析した重要作。現地報道は社会・文化的多様性を正確にとらえたものであった。しかし欧米メディアを介して偏向して行き、現地の多様な視点は日本にはほとんど届かなかった。本書は、欧米の主要メディアによる解釈が、有力な「事実」として世界に伝えられていく過程を詳細に分析し、報道の陥穽を翻訳の視座から浮き彫りにする。

現地の情報が、英語、そして日本語に翻訳・変換されていく過程において、どのような問題が存在したのか。そのプロセスを緻密に分析し、報道偏向の陥穽からいかに逃れ得るかの手掛かりを示唆する。翻訳学、メディア論、報道研究に一石を投じる書。国際報道における翻訳の不可視性と政治性に挑む。

「本書において、紛争とメディアが大きく関わった事例として取り上げるボスニア紛争は、冷戦終結後世界で多発した地域紛争の中でも、第2次世界大戦後ヨーロッパで起きた最悪の紛争と言われ、グローバル社会における「情報戦争」、「メディア戦争」の典型のひとつと位置づけられている。この紛争について、日本の人々が受け取った報道も、その多くが欧米主要メディアの発信したニュースや記事の翻訳であった。
 しかしながら、私たち一般の視聴者や読者は、国際報道における翻訳の存在や影響を十分認識していると言えるだろうか。多くの場合、翻訳の介在は、視聴者や読者にとってはほとんどその姿が見えないものであり、何か特別な問題が起こらない限り、日常の意識に上ることも少ないのではないだろうか。このことは翻訳という行為が、現代社会において今なお、情報理論的コミュニケーションモデルに典型的に見られるような、二言語間の意味の「等価的な」置き換えとして捉えられていることを物語っている。(中略)メディアの客観性という前提が、メディアにおける翻訳の介在をより一層見えにくくしている。メディアの表象とそれに関わる翻訳という行為は、相互に関連し合いながらも、ともに目に見えない、いわば透明な存在である」
(「序章」より)

目次

序章
1 異文化コミュニケーションとしての翻訳の歩み
2 メディアと翻訳の不可視性
3 国際報道体制とメディア翻訳
4 本書の位置づけ
5 ボスニア紛争報道と翻訳
6 本書の構成

第 I 部 メディア翻訳への視点:言語行為の多層性
第1章 グローバル化とメディア翻訳
1 グローバル化の二面性
2 グローバル化と情報・翻訳の流通
3 メディア、翻訳、メディア翻訳
4 求められる記号論的視点

第2章 メディア翻訳と紛争報道に関する研究
1 メディア翻訳という実践と研究領域
2 メディア翻訳研究の進展
3 社会的言語学からのアプローチ
4 その他の関連領域

第3章 翻訳学における「等価」理論の展開
1 翻訳学における2つの潮流:言語理論と文化理論
2 言語理論における「等価」の概念
3 文化理論からの解釈の「不確定性」の提起
4 言語理論と文化理論をつなぐ新たな可能性を求めて

第4章 現代社会記号論系言語人類学と出来事モデル
1 現代社会記号論系言語人類学の概要
2 コミュニケーションモデル
3 語用とメタ語用
4 名詞句階層とメタ語用的装置
5 言説分析の方法

第 II 部 メディアの表象と翻訳:ボスニア紛争報道の言説分析
第5章 ボスニア紛争の経緯と歴史的背景
1 ユーゴスラヴィア解体とボスニア紛争
2 近代国家の誕生と紛争の歴史的背景
3 ボスニアにおける民族意識の形成
4 ボスニア紛争と政治指導者

第6章 ボスニア紛争と国際社会
1 西欧諸国の対応
2 ヨーロッパの中のバルカンと中・東欧諸国
3 アメリカ外交の展開
4 日本社会の反応

第7章 紛争をめぐる解釈とメディア言説
1 旧ユーゴスラヴィアのメディアと紛争
2 ボスニア紛争をめぐる言説
2.1 セルビア、クロアチアの主要メディアの動向
2.2 セルビア、クロアチアの独立系メディア
2.3 ボスニアのメディア
2.4 ドキュメンタリー映画
2.5 ボスニアの民族誌
3 欧米メディアの言説・メタ言説
4 日本のメディア言説
5 考察

第8章 メディア翻訳の言説分析
1 分析の視点とデータ
2 各テクストを取り巻くコンテクスト
3 事例分析
3.1 報道週刊誌:Newsweek
3.2 外交・国際専門誌:Foreign Affairs
3.3 ルポルタージュ:The Fall of Yugoslavia
3.4 テレビドキュメンタリー:The Death of Yugoslavia
4 考察

終章
1 メディアの表象と相互行為としての翻訳
2 今後の課題
3 異文化コミュニケーションにおけるメディア翻訳の役割

あとがき
付録 第8章談話分析データ一覧
参考文献
索引

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