みすず書房

幕末的思考 電子書籍あり

判型 四六判
頁数 320頁
定価 3,960円 (本体:3,600円)
ISBN 978-4-622-08652-9
Cコード C0021
発行日 2017年11月15日
電子書籍配信開始日 2018年3月9日
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幕末的思考



幕末から明治への列島の歩みは、暗から明への昇華ではない。それは、列強による開国への圧力を前に、尊皇攘夷から尊皇開国への転向とその隠蔽、新政府の正統性の急造を伴いながら、慌しい近代国家建設を余儀なくされる過程であった。しかしそこでは、植民地化への危機感と理不尽への抵抗を糧に、普遍的価値のうえに新社会を構想する思考が、徒手空拳で模索されてもいた。中国や西欧からの輸入ではない、この国に地生えの思考が育まれる契機は、しかし、生みの親でもある対外的「危機感」に圧迫され、皇国主義イデオロギーの席巻という試練のなかで影を潜めていった。帰結の一つは、現在も続く第二極の不在である。

本書は、「明治維新」という事後的な枠を通しては見えてこないその思考——幕末的思考——の系譜を、吉田松陰、中岡慎太郎、坂本龍馬、福沢諭吉、中江兆民、北村透谷、夏目漱石、朝河貫一、中里介山らに辿り、その画期性を歴史の行間にあぶりだした精神史的試論である。松陰の「やむにやまれぬ大和魂」の射程、中岡と坂本の連携を支えた地べたの普遍感覚、私情こそ公的なものの源泉であると見た福沢や、後発近代社会こそが民権論を実践できるという兆民の価値転倒の試み、『こゝろ』で「先生」の殉死に託した漱石の抵抗、介山『大菩薩峠』が描く明治がこない世界——。

彼らの未成の思考を紡ぎ直すこと。その今日的意味の切実さを、幕末の人びとの経験は我々に教えている。

目次

はじめに

第一部 外圧
第一章 背景史——最初のミッシングリンク [アヘン戦争/黒船来航と佐久間象山/渡辺崋山と高野長英]
第二章 状況を担う人 [吉田松陰/二つの問答/統整的理念と構成的理念]
第三章 変成する世界像 [攘夷の再定義(横井小楠)/開国の再定義(遣米使節)/攘夷決行]
第四章 変革の主人公とは誰か [「内在」と「関係」の往還/坂本龍馬と中岡慎太郎/草莽の丸テーブル]
第五章 残された亀裂 [転向とその証言者たち/神戸事件・堺事件/相楽総三と赤報隊/小栗忠順と近藤勇]

第二部 内戦
第一章 内戦の経験——第二のミッシングリンク [五か条の誓文/世直し・御一新・維新/戊辰戦争の経験]
第二章 勝者の思考と敗者の思考 [出発の苦しみ/勝者と顕密二元論/官賊範疇と敗者]
第三章 一八七三年のアポリア [岩倉ミッション/西郷隆盛と大久保利通/政府分裂と明六社]
第四章 未成の第二極 [中江篤介の洞察と試行/西南戦争と立法者の消滅/「丁丑公論」]

第三部 公私
第一章 再び見出された感覚——第三のミッシングリンク [市民宗教/『民約訳解』から『三酔人経綸問答』へ/「瘠我慢の説」]
第二章 滅びる者と生き残る者 [離陸する顕教密教システム/北村透谷/夏目漱石]
第三章 敗者における大義と理念 [分岐点としての日露戦争/敗者たちの歴史像/山川健次郎/朝河貫一の場合]

エピローグ——明治がこない世界のほうへ
注/あとがき/索引

[書評] 荒天に走る稲妻をとらえて(本間伸一郎)

——野口良平著『幕末的思考』(みすず書房)によせて——

私は、小さな画廊に顔をだすのが好きだが、二科展や院展のような多くの芸術家の出品する展覧会に立ち寄ることもある。
その時に、おっと思う作品にであう。それが、特賞を、とっていたりする。その作品が、あらわすものは、どこかしら、多くの人の心情に共振するものをもっているからであろう。
しかし、十年後に、この作品に感動するであろうかと、少し、自分に問うてみる。おそらく、そうはならない。

美術の作品というものは、様々な要素が、とりあつめられ、作者の主観によって、構成されている。美術の頂点ともいわれる絵画は油や水に溶かれた色をもつ物質で、彫刻や建築物は石や木材、そして音楽は、空気振動という物理現象を媒介として、構成されている。いいかえれば、表現行為の客体によって、表現主体の主観が表されている。つまり、限りなく物質的な存在をとおして、作家の主観に触れることができるといえようか。
僕らは、今の時代にありながら、多くの歴史的な人物のことを饒舌にしゃべる。しかし、それも、状況に対する行動という、その人物にとっての外との関わりの中で生まれた結果を通してのみである。我々は、外側にある存在を、己の内側の主観に投影することによってのみ、ようやく、なにかに出会うことができる。主客不可分な状態を一歩として、理解、表現、出会いが始まる。

       *  *  *

2017年、京都という文化を背景として一人の人物が、一冊の本を上梓した。それは『幕末的思考』(みすず書房)という本である。この本は、渡辺崋山から、中里介山までの、敗残の系譜に石をおきながら、明治と呼ばれる時代を中心とした時の幅の中で、この列島で起こった、精神の遍歴を追う。
時代精神とでもいうべきものの遍歴を追うということは、その進行が変化するところにひとつひとつ道標を置き、その方向が転換するところを熟考することである。
その方向転換がなされる空間においては、そこに投げ込まれた人々は、これまでの倫理が壊れるところで、これからの倫理を求めて論を立てていく。安定が、新しい安定へと移るその不安定なところで多くの動揺が生じる。
その動揺の象徴とでもいうべき人物が、幾人も幾人もあらわれる。作者の野口良平氏は、その人物群の中から、強い可能性を秘めながらも、挫折して消えていった人物が発した、一瞬の閃光を描いていく。
闇の中で明滅する蛍のような光を追うことで、この国が世界と出会い変容していく過程を表していく。それは、天下が日本となり、お上がお国となり、そして他者を喰らって別のものになってしまうまでの行程でもあった。

       *  *  *

主体の主観は、外部の存在をとりあつめて、表現されていく。そして、その主観といえば、外側との様々な関係の中で位置取りをしている。とはいえ、外が主体の内に入り込んでいるその様態は、主体ひとつ、主体ひとつによって異なる。いわば関係の様態はそれぞれ個別に独自のものである。
加えられたひとつの圧力は、その連関にある全て人々、全ての存在に伝わっていく。非常に近しい存在でも、ほんの少しの外部との関わりの有り様が異なるだけで反応が違うものとしてあらわれもする。反応はさらに伝搬し、又、新しい変化をひき起こしていく。かくして影響は、ひとりひとり、ひとつひとつの場所にまでも到達する。
だからこそ、一人の人物の表現には全体との連環が響いている。そしてその連環が生み出す閃光を凝視することで、その中に写り込んでいる全体にも触れることができるかもしれない。

       *  *  *

近代という時代は、個人が発見されながら、同時に個人が巻き込まれ、個人が参与していく集団性を模索する過程でもあった。鶴見俊輔氏は、ある対談で「集団的思考の管理過程の定式化」という言葉を使っている。(『思想の科学』「思想の発酵母体」)また、別のところでは、現代史というものは《ある一人の証言で、引っくり返る可能性がある》ともいっている。ひとびとや状況の集合態に如何にコミットしていくかというのは、難しい問題でもあった。形式論理的な証明方法では、上手く語ることができないものでもあった。
サルトル、野間宏、小田実の取り組んだ全体小説への格闘というものはそのひとつでもあろう。しかし、それを言語表現のみで行うことは、苦しい行程でもあっただろう。
また、対象として全体を見るために、外側から俯瞰する方法もある。けれども、それは往々にして時間の進行に影響され、気がつくと結果を正当化しようとする偏見に陥りかねない方法にもなりかねない。
たった一人の証言で引っくり返る現代への系譜をどのようにとらえるか、集団性や、集合態の反映として個人の遍歴を追う方法もある。しかし、これも、人間としての同情心や共感に左右され、詩情に満ちてしまおう。

       *  *  *

嵐の空、外圧を受けて、気流は大きく交差し、大気を乱す。雲は陰と陽とに限りなく帯電していく。力が飽和し、状態が耐えきれなくなる。
稲妻が走る。
大気は、一時、落ち着きを取り戻す。そして緩やかに雷鳴が大地を震わす。
とらえどころのない天空の様態をつかまえんとして、稲妻に限りなく意識を集める。心をそこに翔ばして、変化そのものに身を委ねて、閃光の前と後を感じ取る。

今回のこの本の企みの画期的に思える点は、集団の思想を捉える方法として、集団の思想が、新しい集団の思想へと更新される画期の時期、つまり思想と思想の断層のところで、その断層の部分に生じた屈曲から、断層の意味を捉え、ひいては思想の全体性への思索へと可能性を広げているところであろう。
屈曲とは、失敗、挫折、妥協、つまりは状況に呑み込まれる寸前の抗いである。これは、一種の転向論なのであるが、転向とは、突然の強風にいかにしてセーリングをするかということでもある。
時代の変革期にあって、集団の転向は、個人の転向を引き起こす。その見えない力線こそが、この本の急所なのである。

       *  *  *

嵐の海、帆船は大きく揺さぶられる。波と風の力を受け、船板はギシギシと軋む。大きく力がかかるところは、ひどく音がするだろう。音は、船の限界を伝え始める。豪雨の打ちつける甲板から、真っ暗な天空を見上げ、閃光と雷鳴に、嵐の姿を見極めようとする。
英国の国民画家、ターナーは、その大きなうねりを一瞬の時に凝結して描く。その嵐の海の絵、『幕末的思考』とは、そのような一冊といえる。

(ほんま・しんいちろう 思想の科学研究会員・医師)
copyright Honma Shinichiro 2018

京都新聞インタビュー掲載(「未来試考」第3回)

京都新聞2019年1月7日(月)に、著者・野口良平(京都造形芸術大学非常勤講師)の大きなインタビュー記事が掲載されました。
同紙新春2019文化面の「未来試考」連載第3回。

書評情報

成田龍一
日本経済新聞2017年12月23日
高原到
週刊金曜日2018年1月19日号
(インタビュー)
京都新聞(連載「未来試考」第3回)2019年1月7日(月)

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