みすず書房

まさに「けものみち」を歩くような… 野口良平『幕末的思考』

2017.11.13

本書執筆中の野口良平さんは、北は函館から南は鹿児島に至るまで、幕末史の舞台となった土地を本当によくめぐり歩いた。最初は確か会津から仙台、水沢、花巻という東北ルート(東北には執筆中なんども行かれた)だったろうか。次は九州の出島、鳴滝塾、亀山社中記念館、宮崎兄弟資料館、蘇峰記念館、横井小楠記念館、漱石旧居、鰻温泉、城山、南洲墓地、黎明館、美山。薩摩のあとは長州で、萩の城下町、松下村塾、野山獄、岩倉獄、湯田温泉、奇兵隊の墓地がある櫻山神社、白石正一郎邸跡、津和野は西周旧居――。以下、長大になるので詳細は割愛するが、下北、毛馬内、二本松、長岡、水戸、東京、権田、横須賀、諏訪、松代、三河田原、福井、敦賀、京都、大阪、堺、神戸、高知、そして宇和島。草稿と一緒に旅の便りを頂くことがしばしばあったが、旅程はつねに執筆と軌を一にしており、担当編集者の草稿の読みを豊かにしてくれた。その場でしか見られない史料もあるにせよ、実際に行ってみることで得られる感触や感慨の意味は小さくない。そう言う担当編集者自身はもっぱら東京にとどまって、勤め人らしく日々あれこれに追われていたわけだが、京都へ出張に出かけた折には、時間をみつけて御所と蛤御門を訪れた。門の木肌に残る弾痕を指でなぞり、禁門の変最大の激戦があった場所(意外なほど狭かった)を眺めてみるだけでも、書物由来の知識に少しばかり血が通い始めた気がした。ならば、野口さんが数々の旅で蓄積したものの重みはいかばかりか。

あとがきで著者は、3年にわたる執筆過程を「けものみちを歩いてきたという感が強い」と書いている。旅とともに書かれた本書は、文字どおりの意味でも歩きながら書かれた一書である。「けものみち」の意味は、本書を手に取っていただけるとすぐに了解されるが、既存の分類からはみ出す書法の独自性と、それが必然であることに求めることができる。

幕末史の読者の目には、おそらくまず目次が異色に映るだろう。アヘン戦争から始まるのはいいとして、なぜ夏目漱石、北村透谷、中里介山まで続くのか。日本思想史の読者にとっても同様かもしれない。なぜ会沢正志斎、橋本左内の名前が目次になく、相楽総三、小栗忠順、近藤勇なのか。さらには、「ミッシングリンク」という生物学の用語が出てくるのはなぜなのか。幕末から明治の歴史については、断絶ではなく連続性に注目しようという動向もあるが、本書が注目するのは「ミッシングリンク」(失われた環)である。幕末から明治への過程で失われた思考、それは何か。その喪失が現在のわれわれの社会に残した遺産――負の――とは何か。誰の目にも明らかな痕跡として残っているのではないその思考を、未踏の時空に手探りでたどるような執筆過程は、まさに「けものみち」を歩くようであっただろう。幕末維新史や日本思想史を読み続けてきた読者はもちろん、たとえば15年戦争以来の日本がなぜこのような社会であるかを考え続けてきた読者にも、近現代日本の核心についてのひとつの有力な解釈を、本書は差し出している。

ところで、ご本人がどう感じているかわからないが、もう一人、おそらく「けものみち」を歩いたのではないかという人が、幕末維新史に関して興味深い本を書いた。幕閣を罷免されたあと官軍によって斬首された小栗忠順が後世にどう語られたかに、官製の歴史とローカルな歴史の生成を追った力作である。米国人である彼は、小栗公終焉の地である権田村(現群馬県高崎市倉渕町)に英語教師をしながら暮らしたことがあるという。その本の日本語版を、野口さんの翻訳で小社から刊行予定である。こちらもぜひ、期待していただきたい。