専門知は、もういらないのか 電子書籍あり
無知礼賛と民主主義
THE DEATH OF EXPERTISE
判型 | 四六判 |
---|---|
頁数 | 312頁 |
定価 | 3,740円 (本体:3,400円) |
ISBN | 978-4-622-08816-5 |
Cコード | C1030 |
発行日 | 2019年7月10日 |
電子書籍配信開始日 | 2019年7月16日 |
THE DEATH OF EXPERTISE
判型 | 四六判 |
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頁数 | 312頁 |
定価 | 3,740円 (本体:3,400円) |
ISBN | 978-4-622-08816-5 |
Cコード | C1030 |
発行日 | 2019年7月10日 |
電子書籍配信開始日 | 2019年7月16日 |
20世紀初頭まで、政治や知的活動への参加は一部の特権階級に限られていたが、後の社会変化で門戸は大きく開かれた。それは人びとのリテラシーを高め、新たな啓蒙の時代を招来するはずだった。ところが今、これほど多くの人が、これほど大量の知識へのアクセスをもちながら、あまり学ぼうとせず、各分野で専門家が蓄積してきた専門知を尊重しない時代を迎えている。
ゆがんだ平等意識。民主主義のはき違え。自分の願望や信念に沿う情報だけを集める「確証バイアス」。都合の悪い事実をフェイクと呼び、ネット検索に基づく主張と専門家の見識を同じ土俵に乗せる。何もかも意見の違いですますことはできない、正しいこともあれば間違ったこともあるという反論には、「非民主的なエリート主義」の烙印を押す。これでは、正しい情報に基づいた議論で合意を形成することは難しく、民主主義による政治も機能しない。
原因はインターネット、エンターテイメントと化したニュース報道、お客さま本位の大学教育。無知を恥じない態度は、トランプ大統領やブレグジットに見るように、事実ではなく「感情」に訴えるポピュリズム政治の培養土となっている。または逆に、知識をもつ専門家による支配、テクノクラシーを招く恐れもある。
本書が考察しているアメリカの状況は対岸の火事ではない。専門知を上手く活かして、よりよい市民社会をつくるための一冊。
はしがき
序論
第1章 専門家と市民
第2章 なぜ会話は、こんなに疲れるようになったのか
第3章 高等教育——お客さまは神さま
第4章 ちょっとググってみますね——無制限の情報が我々を愚かにする
第5章 「新しい」ニュージャーナリズム、はびこる
第6章 専門家が間違うとき
結論——専門家と民主主義
注
索引