みすず書房

高橋たか子『終りの日々』

2013.12.11

[20日刊]

メーリングニュースで知ったリンダ・トンプソン(66歳)の新曲タイトルがWon’t Be Long Nowで、ジャケットは浜辺に立って何かを待つように海を眺めているリンダ本人(だと思う)の後ろ姿です。「もう長くない」というタイトルの意味するところはわかりませんが、このアルバムに目が留ったのには、本書『終りの日々』の編集作業を完了したばかりだったからだと思います。

今年7月12日に亡くなった高橋たか子の、茅ヶ崎の老人ホームの部屋には6箱の段ボールが残され、こんど本のかたちになった5年分の日記もそのうちの一箱にありました。日記帖ではなくコクヨの原稿用紙にきちんと書かれたその日記は、表紙に鉛筆で「死後、活字にするもの」と書かれており、5冊目の表紙には「『(人生最後の)その日その日の思い』という感じのタイトルにして、全篇すっきりと書きなおすこと」と走り書きされていました。いつか本にしたいという、高橋たか子の意志が伝わります。

内容はそれほど多岐にわたるものではありません。朝はフランス語聖書を朗読し、念祷をおこない、新聞や本を読み、文章を書き、音楽を聴く。ほとんど変化のない日々に「思ったこと」が書かれているだけです。しかし前書きのようにして、「死の日まで、と思って書く」とあるので、文中に「老い」とか「死」の言葉が出てくると、こちらの読む手が思わず止まるのです。

「年をとってくると、きちんきちんと、その時点で書いておかぬと、思ったこと考えたこと思い出したことが消えてしまう、と意識するようになったせいでもあり、また同時に、年をとらぬと決して見えてこない何か深い広いことがある、と気づくようになったせいでもある。/年をとらぬと決して見えてこない何か深い広いこと。/なぜ?/なぜ?/誰でもそうなのかどうか、他人に訊ねてみたことはない。」

「いま思っているさまざまなことは、私の死によって消えるのか? 何処へ行くのか?」

「あと何年か経てば、死ぬ。/そういう意識が私にくっきりしてきている昨今である。/私が死ねば、今かかわりのあるすべては、どうなるのだろうか?/なにか、今、という時が、濃い、と感じられてくる。あと何年かで、これらすべてがなくなるからか?」

「私の死後、私が思い出すだろう(あの世から?)生きつづけているフランスの或る子供たちへの、懐かしさを、今、先どりして感じている、この曰く言いがたい気分。」

高橋たか子は1932年生まれ。須賀敦子(1929-98)有吉佐和子(1931-84)倉橋由美子(1935-2005)らの世代に属し、戦後日本の高等教育を受けました。年齢や時期は異なりますが海外で学んだ経験をもち、倉橋以外はカトリックに入信しています。高橋と有吉の洗礼名は同じく、マリア・マグダレーナ。しかし晩年のありようは、それぞれに違うものでした。高橋は数少ない友人であった大庭みな子が亡くなってから、ほとんど外出もせず、毎日自分の部屋から外を眺めて暮らしました。本書の最後に「遠くを、眺める」と題した詩があります。原稿用紙の最終冊に、日記とは分けて置かれていました。2005年に書かれ2009年に「補足」されている、この詩の冒頭を引用します。

すぐ前に
いや、正確には五十メートル先
そこに、いつもいつも見える
松林、その黒みがかった緑
右にも左にも続いているが
すぐ前に見える、その姿、生息感
それをじいっと見ている私
それを見てるのではなく
何か別なものを見てるのだ!

松林の向こうには湘南の海が広がっていました。けれども、高橋たか子がその浜辺に立つことは、あまりなかったのではないかと思われます。

ところで、『ニューヨーカー』に掲載された、パティ・スミス(もうじき67歳)による追悼文を読みました。日曜日の早朝ふと思い立ち(オートバイで?)ロッカウェイ・ビーチに行った彼女は、娘からの携帯メールでルー・リードの死を知らされます。大西洋の海辺で旧友の死を悲しんだパティ・スミスは、しかし、この文章を「ルー・リードは死ぬにはもってこいの日を選んだ。ディラン・トマス、シルヴィア・プラス二人の誕生日で、サンデー・モーニングだなんて」と結んでいます。

こういう友人を持たず、海辺の部屋に独りきりで晩年を過ごした高橋たか子の言葉は、今日の日本社会への嫌悪と、伝統的ヨーロッパへのいささか一面的で一方的な敬愛に満ちています。そしてカトリックの信仰に基づいています。でもそれを孤独な老女の繰り言として聞き流すのはもったいない。老いにしても死にしても、人を選びません。それを迎えるときに保たれる自意識(自分であろうとする気持ち)は、人それぞれであれ、無くてはならないものだからです。

(装幀・菊地信義)