みすず書房

『中井久夫集 1 働く患者 1964-1983』

[第1回配本・全11巻]

2017.01.13

『中井久夫集』には全巻、最相葉月による「解説」がつきます。
中井久夫と河合隼雄に焦点をあてた『セラピスト』(新潮社)でも知られるすぐれたノンフィクションライターの手になる解説は、中井久夫の人と仕事の背景を時系列で詳細かつスピーディに解き明かしてみごとです。

解説 1

最相葉月

中井久夫には、二つの筆名がある。一つは楡林達夫、もう一つは上原国夫。楡林の著作には『日本の医者』(1963)と『病気と人間』(1966)が、上原には、『あなたはどこまで正常か』(1964)がある。〔…〕
『中井久夫集』第1巻の巻頭に置かれた二つの随筆、「現代社会に生きること」と「現代における生きがい」は、『あなたはどこまで正常か』に収録されている。いかにもセンセーショナルなタイトルだが、なぜ、中井はこのような本を書いたのか。それを知るにはまず、楡林達夫についてふれなければならない。

処女作の『日本の医者』は、中井が在籍していた京大ウイルス研究所と、学術振興会流動研究員として実験を行っていた東京大学伝染病研究所(伝研)を往復する夜行列車の中で執筆された。二十代最後の年のことだ。社会学者の小山仁示との共著だが、医療労働者の不安定な地位と、その原因になっている医局制度の問題を冷静な筆致で綴った、本書の骨格となる章は中井の筆による。中井がインターン生活を送った大阪大学医学部附属病院をはじめ、全国の大学から情報を集め、問題の矮小化を防ぐために大学名を伏せて一般化したことが功を奏し、話題を呼んだ。読者の多くは、インターン制度の廃止を訴える学生や、アルバイトで生活を支えなければならない無給医局員だった。

楡林達夫とは何者か。さまざまな憶測が飛び交う中、『日本の医者』を読んで編集部に問い合わせ、京都の下宿を訪ねてきた一人の医師がいた。信州大学医学部神経科教室の〔…〕

(copyright Saisho Hazuki 2017)

『中井久夫集』1[全11巻](みすず書房)カバー