
2017.01.26
『夢遊病者たち』THE SLEEPWALKERS 第一次世界大戦研究の決定版
クリストファー・クラーク『夢遊病者たち――第一次世界大戦はいかにして始まったか』 小原淳訳 [全2巻]
ジャクリーヌ・マンク編 後藤新治他訳 パナソニック 汐留ミュージアム監修
2017.01.13
本書籍『マティスとルオー 友情の手紙』は、「マティスとルオー」展(東京・大阪)の会場特典として別冊図録とセット販売(税込3980円)されております。
* 別冊図録のみの販売はありませんのであらかじめご了承ください
マティスとルオーが出会ったのは、1892年、ギュスターヴ・モローの絵画教室でのことだった。この時、マティス23歳、ルオー21歳。マティスは、家を継ぐことを期待する父親から逃げるように、フランス北部の織物の町ボアンを飛び出し(ニースに長く暮らしてからも、「私は北の人間です」とマティスは言いつづけた)、絵を学びたいとパリを目指した。5回目の受験でなんとかパリ国立美術学校(ボザール)に合格。ようやくめぐりあえた師がモローだった。
才能と野心に満ちた画学生の集まる教室のなかでも、ルオーは抜きんでた表現力と技術で「ドラクロワの再来」とまでいわれ、モローお気に入りの花形生徒だった。どちらかというとデッサンが苦手で引け目を感じていたマティスは才能輝く優等生ルオーをどう思っていたのだろうか。本書の巻頭に置いたモロー教室の集合写真(1897年撮影)は、そんなふたりの距離間を伝えている。だが、ふたりの手紙を読めば、ふたりの間にはモロー教室の思い出があり、ふたりを結びつける絆が教師モローであることが分かるだろう。
この本では、往復書簡は1906年8月30日付、コリウールから送られた、マティスからルオーへの手紙で始まる。マティスはルオーに、サロン・ドートンヌ展への作品搬入日のことを問い合わせている。
「サロン・ドートンヌ」のことは、美術に詳しい人なら一度は聞いたことがあるかもしれない。年に一度秋に開かれる国際的な公募展で、今日でも美術界で重要な位置を占めている。1903年、フランス絵画界の革新をねらいこの展覧会を立ち上げたのは、マティスやルオーなど、若手の芸術家たちだった。彼らのサロンへの大胆不敵な出品作が「フォーヴ」の呼び名を生んだことはよく知られている。
1897年から1903年の間に、つまりモロー教室を卒業するとすぐに、マティスとルオーは伝統的絵画への挑戦を始め、画風を一転させたのだ。この事実は、マティスとルオーにとって、どれほど恩師モローの存在が大きかったかを物語っているように思える。
この本には、手紙原稿の写真を多数掲載している。ふたりの筆跡を眺めていると、書かれたことの裏から、心の声が聞こえてくるようだ。とりわけルオーの手紙は賑やかだ。紙面の隙間を埋めるように縦横斜めに書かれる文字、傍線、消し線。チョチョっと書かれた絵やイニシャルや記号、切手の貼り方や消印を見ていると、ルオーの人となりが浮かんでくる。
1月14日からパナソニック汐留ミュージアムで始まる「マティスとルオー」展では、絵画作品を通してふたりの影響関係を見てとることができる。展覧会と呼応するように編集した本書、背景を伝える詳しい註、ふたりの道のりをしるした年譜、移動した町を示す地図、制作年順に収めたカラー作品、手紙原稿の図版、を行ったり来たりしながら読んでいただけるとうれしい。マティス、ルオーそれぞれの想いや思惑、気質、好み、当時の美術界の舞台裏……へと想像が膨らむことだろう。
読みながらつぎつぎと勝手に物語をつくってしまうのは、手紙という断片だからこその効果かもしれない。マティスとルオーの伝記とともにこの本を読んでいただけたなら、ふたりの作品を見るのがもっと面白くなる。
2017.01.26
クリストファー・クラーク『夢遊病者たち――第一次世界大戦はいかにして始まったか』 小原淳訳 [全2巻]
2017.01.13
[第1回配本・全11巻]