みすず書房

『中井久夫集 2 家族の表象 1983-1987』

[12日刊][第2回配本・全11巻]

2017.04.11

『中井久夫集』には全巻、最相葉月による「解説」がつきます。
中井久夫と河合隼雄に焦点をあてた『セラピスト』(新潮社)でも知られるすぐれたノンフィクションライターの手になる解説は、中井久夫の人と仕事の背景を時間軸にそって詳細かつスピーディに解き明かし見事です。

解説 2

最相葉月

これまでの人生でもっとも楽しかった時期はいつか。いささか俗っぽい筆者の問いに、「名古屋ですなあ」と中井は答えた。八十歳を目前にしたある日、逡巡する素振りも見せず、即答であった。
名古屋は、中井久夫が四十代の前半を過ごした土地である。1975年、名古屋市立大学医学部神経精神科の助教授に着任し、多くの患者を診察した。若い医師や看護師の教育にあたり、国内外の精神科医や心理臨床家と交わり、統合失調症を始めとする精神疾患への考察を深めた。いわば臨床の最前線を駆け回った時代である。本巻に収められた論考は、医師としての最終勤務地となる神戸に赴任した四十代後半から五十代前半に執筆されているが、着想の基となる体験の多くはこの時期のものである。
〔…〕
臨床の場では、のちに中井の「臨床作法」と呼ばれる言動が、同僚や教え子たちによって次々と目撃された。診察室の扉を開けて待合室に顔を出し、「○○さん」と名前を呼んで患者を招き入れる。睡眠や食事、便通を訊ね、脈をとり、体重を測り、顔色や舌、髪の艶、爪白癬を診る。初診では、患者に顔を近づけて直接眼底鏡で検査することもあった。統合失調症の「寛解過程論」を発表するにあたって、身体症状と精神症状を時系列で記したグラフを作成して患者の状態を縦断的に観察することを常としていた中井にとり、身体的兆候に目を配るのは当たり前のことだったが、その行為は同時に、医師と患者の距離を近づける意味をもっていた。

診察に陪席した若い医師たちが戸惑ったのは、沈黙である。初対面の患者は緊張のあまりしゃべれない。中井は低い姿勢で何十分もじっと待ち、空気が和らいできたところで、「しゃべるのが苦手みたいだね」「ところで今日はどうしたんだっけ」などとやさしく声をかけた。描画を試みる時も、解釈は一切しない。「ここはこうだった?」「こっちもあるかな」と小声でささやき、第三者が入り込めない二人の世界を形成していた。「橋渡しことば」や「アンテナ問答」(「関係念慮とアンテナ感覚」)といった対話の手がかりは、患者に脅威を与えない会話のあり方について同僚たちと試行錯誤する中で探り当てたものである。

中井がとくに大切にしたのは、家庭訪問だった。〔…〕家庭訪問には、「家庭の平衡にわずかなりともヒビを入れ、少しでもかき乱そうという意味合い」(「家族の表象」)があり、医師は家族の行き詰まりを打開するかきまわし役「トリックスター」だった。

〔…〕

(copyright Saisho Hazuki 2017)

『中井久夫集 2 家族の表象 1983-1987』(みすず書房)カバー