みすず書房

『中井久夫集 9 日本社会における外傷性ストレス 2005-2007』 最相葉月「解説 9」より

[第9回配本・全11巻]

2019.01.10

『中井久夫集』には全巻、最相葉月による「解説」がつきます。
中井久夫と河合隼雄に焦点をあてた『セラピスト』(新潮社)でも知られるすぐれたノンフィクションライターの手になる解説は、中井久夫の人と仕事の背景を時間軸にそって詳細かつスピーディに解き明かし見事です。

解説 9

最相葉月

中井久夫にとって、絵は対話の補助線である。患者との間で行われる絵画療法や、大学などで行われる講義や学会だけではない。阪神・淡路大震災が起きたときは、全国から駆けつけたボランティアの医師や看護師らに、箱庭と地図であらかじめ神戸の地理を頭に叩き込んでもらった。

編集者や取材者に対しても、絵で説明することがあった。とくに幼少期の暮らしぶりを説明するときに描くスケッチは微細で、その記憶の鮮明さに何度も驚かされた。A4封筒を解体した裏面に描いた地図が筆者の手元にある。幼少期から独立するまで過ごした自宅を中心に伊丹の町を説明するときに描かれたもので、中井宅から始まり、中井宅を囲む「山中サン」「前田サン」「勝山サン」といった近隣の住宅が二十軒以上、子どもの頃に「私ガ一度ハマッタコエツボ」や「昭15ニ祖父ガ草ヲクワデホリ取ッタ踏ミナラシ道」といった注釈が次々と書き込まれ、地図は筆者の目の前でだんだん大きくなっていった。書くスペースがなくなると一部を拡大して別紙で説明することもあり、さらに注釈が伸びた。〔…〕

中井家には地図がたくさんあった。父方の祖父が日露戦争のときに測量して描いた世界地図もあり、「地図は描くものだ」(『戦争と平和 ある観察』人文書院・2015)と思っていた。小学一、二年生の頃には「磁石を持って歩測で自分の町の地図を作った」(「これらの切れ端を私は廃墟に対抗させた」)こともあったというから、道や橋や植え込みや庭を描き入れるごとに芋づる式に当時の記憶が呼び戻されるのだろう。

「樹の身になって」「隣人としての樹をみる」(『樹をみつめて』あとがき)中井であれば、メダカやホタルの身になって、世界を眺めることもあっただろう。地図を作ることによって自己を中心に置く「天動説的観点」(「樹をみつめて」)から距離をおく。地図とは、「メタ記憶の総体としての〈メタ私〉」(「吉田城先生の『「失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって」)と特定の記憶を自在に往還するための「索引‐鍵」の集合体なのかもしれない。

患者に対するときも、災害や戦争やいじめを語るときも、中井の姿勢は一貫している。相手の身になって世界を観察し、時空を超えて事象を俯瞰し、人類を自然史の中で捉え直す。祖父に自分専用の花壇を与えられ、母に植物の名前を教わった三歳のときから、中井は関与と観察への道を歩き始めていたのであろう。もちろん、「主眼は「理解」にある」(「戦争と平和についての観察」)。〔…〕

(copyright Saisho Hazuki 2019)

『中井久夫集9 日本社会における外傷性ストレス 2005-2007』(みすず書房)カバー