みすず書房

著者にインタビュー。辛島デイヴィッド『Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち』

辛島デイヴィッド

2018.09.10

村上春樹と英米出版界のスペシャリストたちの冒険。Haruki Murakamiの世界へのブレイクスルーまでの道のりを、30余名へのインタビューをもとにたどる、異色の文芸ドキュメント。
なぜ、どのように、村上春樹? 著者自身にインタビューしてお答えいただきました。(編集部)

初めて村上春樹を読んだ時に抱いた印象は? なんで論文のテーマに選んだんでしょう? あとがきに「博士論文」が元になっているとあります。

初めて村上春樹の作品に触れたのは、アメリカのタフツ大学で現代日本文学の授業を受け、アルフレッド・バーンバウムによる英訳を読んだ時です。身体に電流が流れるような衝撃があったわけではありませんが、言葉が自然と身体に入ってくる感じがあり、日本帰国後に原作を一挙に読みました。

博士課程では、初めは1980年代以降の日本文学の英訳について広く浅く調査をしていました。博士論文を書くにあたり、一人の作家に絞り込んで深く掘り下げていきたいと思い、日本文学の英訳の歴史においても突出した存在である村上春樹を選びました。大学時代に一度お会いしていて(勝手に)身近に感じていたというのも影響したかもしれません。論文を書き進めるなかで、訳者、編者などの出版人たちの人柄に魅せられ、その物語にどんどん惹きこまれていきました。

一度お会いして、というのは、大学の授業に村上春樹がゲストとしていらっしゃったのでしたね(あとがきに書かれています)。
ところで、辛島さんの学問遍歴――タフツ、ミドルセックス、ロビラ・イ・ビルヒリ――が目に留まりますが、どんな関心をおもちなのでしょうか。

タフツ大学では、国際関係論を専攻しましたが、実際はリベラル・アーツのプログラムのなかで文学や文芸創作の授業ばかりとっていました。卒論も、初めは平田ホセア先生のもとで「翻訳&解説」という形をとるつもりが、最終的には書簡小説のようなものを書きました。修士も、国際関係学、英文学、文芸創作の三つの選択肢がありましたが、そのとき書きたいものがあったので、文芸創作のプログラムを選びました。その後、日本に戻り、様々な形で文芸翻訳の仕事に携わりながら、スペインで(みすず書房から『翻訳理論の探求』を出している)アンソニー・ピムが主幹していた博士課程に進み、最終的には(みすず書房から『東京裁判における通訳』などが出ている)武田珂代子先生の元で博士論文を書きました。

文学の海外進出を追うという珍しいテーマの博士論文ですが、どの学問分野と考えていますか?

どの学問分野なんでしょうね。少なくとも「科研費」などで定められているような分野に(良くも悪くも)すっぽりはまるような「研究」ではないように思います。論文では「トランスレーション・スタディーズ」の枠組みの中で、社会科学・歴史学的アプローチをとりましたが、今回の本では、学術的枠組にとらわれることなく自由に書きたいという思いもあり、ほとんどゼロから書き直しました。その際、評伝やクリエーティブ・ノンフィクション(とくに小説家によるノンフィクション)もかなり読み込みました。

たくさんの人にインタビューしておられますが、何年ぐらいかけて取材(リサーチ)されたのでしょう?

最初のインタビューから七、八年経っていると思いますが、その間ずっとインタビューをしていたわけではなく、他に色々とやりながら、機会があればインタビューを重ねてきました。可能な限り一度はお会いしてから、電話やメールで追加質問する形をとりました。そして、何度も会ったり、話を聞いているうちに新しい記憶や記録が出てきて、それをきっかけに、また他の人にも話を聞いたり、ということもありました。人によっては、インタビューの間に一年以上の時間が空いたのは、単純に他の仕事で忙しかったり、話を聞く機会に恵まれなかったからですが、時間が空いたことにより、一回のインタビューでは出てこないようなエピソードや記憶・心のブレに触れることもできて、貴重な体験でした。

インタビューだけではなく、書簡、ゲラ、新聞記事、覚書など様々な資料を活用されていますが、これらの資料はどのように入手したのでしょうか。

メディア報道やインディアナ大学のリリー図書館に最近寄贈された(村上作品の英訳を多く手掛けたハーバード大学名誉教授の)ルービンさんの書簡やゲラなどについては、図書館を駆使すれば比較的容易に入手できるものですが、多くの書簡、ゲラ、写真、覚書、レポートなどは、インタビューに答えてくださった方々の家の箪笥や地下室に眠っていたものです。引っ越しを繰り返している方も多かったので、(特に当初は村上春樹が世界的な作家になるとは誰も想像していなかったことを考えると)よく残っていたな、と思う資料も少なくありませんでした。

さて、では、次の展開は?

「あとがき/おわりに」にも書きましたが、これはなかなか終わりの見えないプロジェクトです。今後、英語圏向けに書き直したり、1998年以降の話もまとめていきたいと考えていますが、この段階で1998年までの話を一冊の「本」という形で世に出し、読んでくださった方々にも新たなアイディアをいただきながら、少しずつプロジェクトを進めていければと考えています。

楽しみですね。期待しています。ありがとうございました。

辛島デイヴィッド

1979年東京都生まれ。作家・翻訳家。現在、早稲田大学国際教養学部准教授。