みすず書房

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エルンスト・カッシーラー『認識問題』

第1巻 須田朗・宮武昭・村岡晋一訳

ここにその第一巻を刊行する本書は、近代哲学の根本問題が歴史的にどのように生成したかを精査し展望しようと試みる。近代の思想的努力のすべてはつまるところ、ある最高の共通課題に収斂する。すなわち、その努力が不断に進展するなかで仕上げられるのは、認識についての新しい考え方である。

近代的《認識》概念の生成を執拗に追及した『認識問題』全四巻は、この言葉で幕を開けます。その課題は、カッシーラー風に言うところの「実体概念」から「関数概念」への転換。そしてその過程において重要な契機となるのが、中世的なアリストテレスとプラトンの相克から、いかにしてガリレオ、ケプラー的な世界把握が生まれてきたのかという、本書第一巻で扱われる《精神史》です。

ニコラウス・クザヌスに始まり、モンテーニュ、ケプラー、ガリレイの科学革命、さらにはデカルト、パスカルという高峰を丹念に繋ぎながらも、カッシーラーはそのあいだの小さな峰々、すなわち、ジャコモ・ザバレッラ、フアン・ルイス・ビベス、カルロス・ボヴィルス、サンチェシュ、ラ・モト・ル・ヴァイエ、フラカストロ、パトリッツィ、カヴァリエリ、ロベルヴァル、ネイピア、ゲーリンクス、バーソッグなどをも見逃さず、人間精神の展開を詳細に跡付けます。あたかも思想大陸の脊柱となる山脈を縦走するかのように。

近代の認識概念が意味するものにとって、ガリレイとケプラー、ニュートンとオイラーは、デカルトやライプニッツと同じくらい完璧に信頼できる重要な証人である。このきわめて重要な中間項の考察を放棄しようとするなら、展開の全体は飛躍と空隙だらけにみえざるをえないだろう。それというのも、この中間項においてはじめて、そしてこの中間項との関連によってはじめて、哲学的思想そのものがその真の内的連続性を保持するからである。厳密で一義的な論理的概念としての認識が存在するということは、ここではじめて完璧に証明される。

ぜひ本書で、長大かつスリリングな思想山脈を縦走し、爽快な知的達成感を体験していただければと思います。

(『認識問題』第3巻は未刊です。またカッシーラー『実体概念と関数概念』山本義隆訳は、おそれいりますが、ただいま在庫が切れ重版未定です)



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