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斎藤環『アーティストは境界線上で踊る』

話題の新刊『アーティストは境界線上で踊る』は、著者・斎藤環先生の、切れ味するどい作家論・作品論はもちろんですが、23人もの現役アーティストの、生の発言も収録している点が、おおきな特徴です。日常のこと、創作にのぞむ態度、好きな物、子供時代など、数々の名言、珍言(?)には大いに興味をそそられます。そのなかから、ごく一部をかいつまんでご紹介しましょう。

◆『アーティストは境界線上で踊る』名発言集

草間彌生
草間彌生《ハーイ・コンニチワ!》2004
(c) Yayoi Kusama Courtesy of YAYOI KUSAMA STUDIO

「(最新作について)そうですね。描いてみたいと思ったの。もう少し明るい作品を。少女時代にあまりにもみじめだったから。これは《ハーイ、コンニチワ!》という題なの。(…)少女時代にこういうものになりたかったっていうもの。(…)若いころ、日本画もずいぶん描いたけど、お母さんと取っ組み合いのケンカをしたときに、みんな破って捨てちゃったの。私、あのころ、ものすごく気が立ってたからね。いまみたいじゃないの。こんなにして静かに話ができないのよ、あのころは」

加藤泉

「(アウトサイダー・アートについて問われて)いい状態で作品をつくるには自己管理しなきゃならない。それは決定的な違いで、彼らはたぶん、そんなことをしなくても思うがままに作品をつくれると思うんですよ。だけど発展はない。アウトサイダー・アートにはそういう面がない。(…)絵と自分との関係が進化したりとか、たとえば、ああ、やっぱりおれは絵に向いていないんだなとか、そういう確認を僕らはできるんだけれども、病気の人はできない」

会田誠
会田誠《MONUMENT FOR NOTHING》2004
Photo: Keizo Kioku
(c) Aida Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery

「いまは少女を描くことにはなかば飽きていることはたしかです。でも完全に飽きてしまったら描けない。やっぱり少女は僕にとってはなにかが引っかかるモチーフなんでしょうけれど、なぜかというと、よくわからない。《MONUMENT FOR NOTHING》は、がんばって考え方を少し変えて、豊満な女性にしたんですが、僕のほんとうのところは、もっと少女少女していますね。なんせ少女とのお付き合いはなかったし、喋ることすらできなかったし、いまでも中学生の女の子とかと喋れないですね。(…)いまのところ、少女は架空のものだから描けるんだと思いますね」

山口晃

「(作品の批評性を問われて)愚痴を研いでいくと批評になると思うんですね。出始めは愚痴なんですけど、作品にするときはなるべく研ごうって思ってまして、研ぎきれないものは、いいや!って乗せてしまいますけど、そういうのが原動力になるときもあるんですね。ぱっと見で引き寄せて、それで批評的なものでみせて、その上で批評をもなにか相対化させてしまうようなアートフィールドみたいなものが示せたら、と」

西尾康之
西尾康之《奇想の庭》2005
Photo: Keizo Kioku
(c) Yasuyuki Nishio Courtesy of YAMAMOTO GENDAI

「じつは小学一年生のとき、首つり自殺の第一発見者になったことがあります。それはショッキングなのだけれど、死体の顔がセルリアンブルーで、なぜか怖いというより、「夕焼けはすごい」というのと似たような感動を覚えました。人間という自然の物体に起こる化学変化に対して、すごく貴重なものを見たということで、その後、内心で求めつづけました。そしたら、それに応えるようにとても多くの死体と出会うのです」

タカノ綾

「私はけっこうずっと無意識に生きてきて、十七歳ぐらいのときにはじめて「はっ」という感じで物心ついたのですが……。(…)それまで自意識とかほとんどなかったのですが、「私はいま十七歳だなあ」ってすっごい思ったという記憶があるんです。私は時間軸とかもメチャメチャずれていて認識ができなくて、友達と何日にどこでという待ち合わせの約束をしても絶対に行かなかったんです(笑)。高校の友達と待ち合わせをすると二時間とか平気で待たせることになってしまって、それで約束は守らないといけないとか他人という存在がいるんだということなんかがわかってきたんだと思います。そのころの感じを絵に描いています」




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