みすず書房

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トニー・ジャット『ヨーロッパ戦後史』

1945-2005 [全2巻・完結]

「戦後」、つまり第二次世界大戦後をひとつの歴史区分とする発想と妥当性については、各国さまざまだろう。アメリカの場合はどうか、共産党と国民党の戦いがつづいていた中国の場合は? またアジア・アフリカ諸国、南米諸国、オセアニア各国では「戦後」はどの日付けを起点として考えられているのか。「8・15」という象徴的な記号が多くの人の心に刷り込まれている日本では、「戦後史」の名の付くものが本をはじめとしてやたら目に付くいっぽう、戦前からの連続性で歴史をとらえようとする論者の多いことも周知のとおりである。

しかし、数千万の死者と瓦礫の中から再生をはじめたヨーロッパでは、「戦後」は文字通りの出発点を思い起こすシンボルとなっている。この膨大な本を書き上げたイギリスの歴史家トニー・ジャットは、下巻の「エピローグ」で、次のように述べる。
「ハインリヒ・ハイネが到達した結論によると、ユダヤ人にとっての〈ヨーロッパへの入場券〉はキリスト教受洗である。だがそれは、ユダヤ人が担わされてきた差別や孤立という遺産の相続を放棄してしまうことが近代世界への入場対価であった1825年の話である。今日、ヨーロッパ人であることの端的な証明は洗礼ではない。それは絶滅である。〈ホロコースト〉を認めることが、われわれの現代ヨーロッパへの入場券である」と。
また、「エピローグ」末尾では、こうも言っている。「恐ろしい過去の標識や記号で結び合わされた新しい〈ヨーロッパ〉は、注目すべき成果ではあるが、過去の重荷を永遠に背負いつづけなければならない。ヨーロッパ人がこのきわめて重要な絆を保持しようとするなら、すなわちヨーロッパの過去が引きつづきヨーロッパの現在に、訓戒の意味と道徳的目的を備えさせると言うのであれば、次々と生まれる世代にいちいち新たに教えてやらなければならない」。
著者の意図は明らかであろう。

1945年から71年までを扱った上巻を継いで、下巻(1971-2005)では、繁栄の60年代が終わったあとの停滞と失意の時代から筆を起こし、新たな現実主義と連合への道を歩む西欧と、ソ連崩壊の後で分裂に向かう東欧、たび重なる民族と国家をめぐる戦争、グローバリズム、EU結成まで、多様なヨーロッパの生き方を描く。事実とその意味を百科事典的ともいえる具体性で描写しながら、かつ世界全体との関係も説得的に表現したその筆さばき、歴史というものが、政治経済のみならず、本や映画やスポーツなど文化芸術と市民の欲望のうねりのなかでつくられていくことを縦横に提示したその面白さは、みごとという他ない。歴史学の新たな達成と言える現代の古典である。




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