みすず書房

トピックス

大竹昭子『随時見学可』

[4月17日刊]

著者初の創作集『図鑑少年』(小学館)には、小説作品にはめずらしく「わたしが街に溶けていく」と題された「あとがき」が付されています。ここで全文を引用させていただきますと――

「都市はわたしの〈故郷〉であり、見知らぬ土地でもある。知っているように思っていた場所が、しばらく行かないあいだに未知の街になる。開発によって街の表情がたえず変えられていく。だが、それだけが理由ではないだろう。

都市に生きる人々の意識には、確かなかたちがない。満ちたり引いたりする潮の流れのように、とどまることなく動いている。たぶん、そのことと関係がある。

街を歩きながら人々の心の動きに眼をとめる。しだいに見ている感覚が遠のき、体が軽くなり、街の中に溶けていくのを感じる。〈わたし〉が確固とした存在ではなく、さまざまなものに混入する無数の胞子になっていく。

すると不思議なことに、風景がくるっと反転するように、いままで気付かなかったものが親しげに近寄ってくる。それは人であることもあれば物であることもあり、音や情景であることもある。たったいま誕生したような新鮮さをたたえて、それらがずっと眼の前に現れるその瞬間はスリリングだ。そのとき、〈わたし〉というのがだれなのか、もうわからなくなっている」

「文筆家」としての大竹さんの姿勢を端的にあらわしていて、フィクションが要請される必然性をも示したマニフェストですが、こんどあらためて読み返していて、学生時代はミステリアスに響いていた言葉が記憶の底から浮かんできました。これってジョイスの「エピファニー」? はじめはノートに書き綴られた統一しようもない断章群を指し、やがては芸術家の使命とさえ定義されるにいたった言葉がごくごく素朴に説明されているではありませんか。

ジェイムズ・ジョイスのダブリンから大竹昭子の東京へ。都市の魂をつかまえる手法が、現在に生き生きと受け継がれている。けれど、こんなふうに合点がいくのも、やはり『随時見学可』を担当してのことでしょう。「最初の読み手」編集者冥利に尽きます。

『図鑑少年』刊行からちょうど10年。著者2作目の創作集をお届けします。

■大竹昭子のカタリココ

大竹昭子が展開するトークと朗読のイベント「カタリココ」は、「語り」と「ここ」を合わせた造語です。都内の古書店を会場に、ゲストを招いてトークしながらそれぞれの著書を朗読します。内容や予定など詳しくは、ブログ「大竹昭子のカタリココ」をごらん下さい。
大竹昭子のカタリココhttp://katarikoko.blog40.fc2.com/




その他のトピックス